破魔矢を見つめている大地に、紺野が声をかけた。

「それ、岩時の破魔矢?」

「…………さあ? クスコの首に刺さっていたんだ」

 答えを知らない大地のかわりに、梅が小さく頷いた。

「その通り。『岩時の破魔矢』です。ご存知なのですか? 紺野さん」

「ええ。岩時神楽の一節に出てきましたから」

 紺野は内容をほぼ暗記してしまうほど、何度も何度も『岩時神楽』の原本を読み返していた。

 矢竹(やだけ)の部分が赤い色、矢羽(やばね)の部分は白色の破魔矢(はまや)は、神楽の重要なシーンに何度か登場している。

 それまで我が物顔で世界を支配していた神々が、最強神として君臨した『筒女神』を忌み嫌い、彼女を殺すための道具として使ったのが、この破魔矢なのである。

「どの部分に破魔矢が出てきたのかも、思い出しました」


 紺野はこう言うと、岩時神楽を二節目までそらんじた。


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 ふることに伝う


 光と闇が生まれました


 それらは白と黒のドラゴンになり


 互いをもとめ

 
 影響を与え合いました


 その白と黒のドラゴンは


 決して交わることができず


 ぐるぐる
 ぐるぐるぐるぐると


 目にも止まらぬ速さによって


 クスコを追いかけ
 まわり続け

 
 (ともえ)の形を作り出し


 互いの力を吸い


 互いの音を感じ


 互いの色を見つけ


 触れることをもとめ


 深名(ミナ)を創りました



 我々が住むこの世界は
 こうして生まれたのです





 ふることに伝う


 光と闇は育ちました


 白と黒のドラゴンは


 破魔矢の中に身を投じ

 
 互いの滅亡を求めました


 黒は岩、白は時


 独創的な世界を創り


 ぐるぐる
 ぐるぐるぐるぐると


 目にも止まらぬ動きによって


 クスコを追いかけ
 まわり続け

 
 (ともえ)の形を崩さずに


 互いの力を奪い


 互いの音を煩がり


 互いの色を侮蔑し


 触れることを拒み


 深名(ミナ)を分けました


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 紺野は神楽の二節目を言い終えた後、言葉を続けた。

「ずっと僕は、『クスコ』という名について引っかかっていました。でもこの円鏡に描かれている絵を見て、思ったんです」

 紺野は自分の手の中にある円鏡を、クスコ達に見せた。

 円鏡の表面には小さな緑色の石が埋め込まれており、そのまわりには、白と黒のドラゴンを模った装飾が施されている。

 クスコと梅の瞳が一瞬揺れた。

「『クスコ』の名前ってもしかして、この白と黒のドラゴンの尾についた、花の名前なんじゃないのかな、って」

 正確には、互いの尾の先についている、一輪の花。

「白と黒のドラゴンは、互いの尾を追いかけています。『クスコを追いかけ』って、そういう意味なのかなと」

 紺野は直接クスコに尋ねた。

「あなたには、別な名前があるのではありませんか? 尾に花が描かれているのは最強神だけです。そして絵を見る限り、最強神は二体いる。花が互いの『魅力』のようなものだとして、それを追いかけるために白と黒のドラゴンがずっと、動いているのだとしたら……?」

 クスコと梅は興味深そうに、紺野の話を聞いている。

「紺野、お前…………さっきから一体何言ってるんだ?」

 紺野の様子がいつもと違うので、大地は思わず彼に声をかけた。

 岩時神楽の中では、白と黒のドラゴンが互いの魅力に吸引される力が、世界が動く仕組みとなった、と解釈されている?

 紺野は頭の中で、この考えにたどり着いたようである。

 ヒマリに扮したクスコは大きく息を吸い、そして吐き出した。

 そして彼女は柔らかく微笑み、紺野の問いに答え始める。

「花が互いの『魅力』である、という解釈は概ね正しいかも知れぬな。けれど『クスコ』の名前が花だというのは、はずれじゃ」

「そうですか」

 梅が紺野に加勢した。

「『クス』は『反転』という意味があるそうです」

 紺野はその言葉を聞いて、ピンときた。

「じゃあ『クスコ』って最強神にとっての『反転』を指すのでは無いでしょうか」

 この言葉に驚き、クスコと梅は顔を見合わせた。

 ヒマリに扮したクスコは、歌でも歌うような口調で話し出した。

「尾に咲く花は、最強神の魂。ワシの本当の名は『深名孤(ミナコ)』という」

「最強神?!」

 大地は叫び声をあげ、顎が外れるくらい口を大きく開いた。

「クスコ、お前は、本物の筒女神……『白の側の最強神』なのか?」

 気付いたら大地も、クスコに質問を繰り返していた。

 クスコが最強神・深名?

 では、今最強神の部屋にいるのは?

 カナメはじっと、この会話に聞き入っている。

「どうなんだよ…………」


 しばらく間が空いたのち、クスコは小さく頷いた。


「そうじゃ」


 紺野、大地、カナメはごくりと息を飲んだ。


 高天原の最強神の部屋から遠く離れて仕事をしていた霊獣王カナメも、最強神が二体いるという事実を知らされていなかった。

 薄々この事に気づいていた梅は、感嘆の声をあげた。

「紺野さん…………まさか人間のあなたが、あの本を読み解くとは。あの岩時神楽の原本は遠い昔に、私の父が書き記したものです」

「…………梅の父さんが?」

「ええ。私の父も鳳凰で、長命でした。岩時神楽は神々の間で代々、語り継がれていた最強神についての歴史なのです」

 クスコは紺野に近づいて、彼の頭を撫ではじめ、ゆらゆらと青い瞳を揺らしながら、ぽつりぽつりと話し出した。

「……紺野よ、おぬしのおかげでだいぶ、昔の事を思い出したわい。今、最強神の部屋におるのは黒龍側の深名斗(ミナト)。ワシと深名斗(ミナト)は本来、二体でひとつ。ワシは白龍側の最強神というわけじゃ。ワシは深名斗のクスコで、深名斗はワシのクスコというわけじゃな」

「ずっと…………二つに分かれていたのか?」

 大地の問いに、クスコは頷いた。

「そうじゃ。これは歪められており、正しくない出来事じゃ。最強神とはいえ、どちらかがどちらかを殺し、どちらかだけ存在するわけにはいかぬ。全世界の力がことごとく弱まるからのう。……しかし、よく見破ったな紺野」

「…………」

 紺野は言葉が出ない。

「深名斗とワシが分離したままでは互いに弱まり、全世界が消滅してしまう。早急に元に戻らねばならぬ」

 魂は大きく分けて、ふたつある。

 どちらにとっても大切だったはずの『魂の核』を遠い昔、ただの深名であり一体だった最強神がある場所へと埋めた事が、ことの発端だったという。

「最強神は本来、黒龍でも白龍でも無い。太古の昔からワシと奴は、切り離してはならぬ存在じゃった。じゃが嘆かわしいことに最近、神々の間で徐々にその事実が歪められてのう」

 均衡を失い、黒龍側に殺されそうになったのじゃ。

 深名孤(ミナコ)はそう、小さく呟いた。

「分離した後も奴はワシを追いかけ、ワシは奴を追いかけた。ワシらは互いに影響を与え合い、世界をどうにか動かしておったのじゃ。しかし……白と黒の殺し合いが起きた」

 神々の戦い。

 それにより姑息な手に堕ち、深名孤は閉じ込められた。

「ワシは何とか、自力であの恐ろしい隔離室から抜け出した。ワシはアレを掘り起こさねばならぬ。あの中にはワシらの大切な開陽(ミザール)(魂の核)を埋めたままなのじゃからな」

「あの中って…………?」

螺旋城(ゼルシェイ)じゃ。祭りに乗じて潜入し、早く見つけ出して元に戻らねば、手遅れになる。時を逃すと二度と、見つからなくなってしまうのじゃ」

「ちょっと待て。螺旋城に埋めたのがお前の…………魂の核だって?」

「さっきからそう言っておる」

 大地には、何が何だかわからない。

 ドゥーベが大地の近くに飛んできて、くるっと杖を一振りし、再び映像を映し出してくれる。

 二時の方角の、今いる扉工房から少し下がって見てみたが…………

 姫榊達が踊っていた場所である珊瑚の望楼が、何故か跡形も無く姿を消しており、そこには律がいる螺旋城が巨大化した状態で存在している。

 ヒマリに扮したクスコは、十時の方角にあったはずの螺旋城を指さした。

螺旋城(ゼルシェイ)が動きまわり、珊瑚の望楼を食べたようじゃ」

「なんだって?」

「螺旋城が活発になってしもうとる。生き物じゃからの、いつまでも同じではない」

 だが凌太が捕まっている、巨大な岩の塊はまだ存在している。

 さくらが捕らえられているはずの、羽衣形の乳白色の城も、今のところ無事だ。

「螺旋城の表面は、生き物の屍……気枯れの塊で覆われておる。我々の開陽(ミザール)である『魂の花』は、あの表面から養分をもらって生き永らえておる」

 あの場所には、律がいる。

「一番最初に、螺旋城へ向かわないと…………」

 深名弧は頷いた。 

「そうじゃの。そしてどうやら、時間切れになったようじゃ」

「?!」

 何が、時間切れだというのだろう。

「すまぬのう、大地よ。『反転』の時が来たようじゃ。おぬしが紺野にみすまるを食わせたのはある意味、正解じゃったの」


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 一瞬の出来事だった。


 ヒマリに扮したクスコ、いや、深名孤は急に、姿を消した。


 唖然とする大地と、梅と、紺野と、カナメの目の前に、一人の少年が姿を現す。


「ふふ…………あはは! やった! ()()()()()()()()!!」


 軽やかな笑い声をあげながら、その少年は扉工房の中に現れた。


 白くなめらかな肌、射る様に見定める、黒く輝く瞳。


 黄金の装飾で縁取られた銀の軽装束に、肩まで伸ばした艶やかな黒髪がさらりとかかる。


「そう。僕たちは遠い過去に、あの螺旋城の奥深くに、尾に咲く花を埋めたんだ。僕と深名弧(ミナコ)を結びつけていたはずの、あの美しい開陽(ミザール)の花を」


 最強神・深名斗(ミナト)は微笑みながら、こう言った。