鍾乳洞からは、ぴちゃん、ぴちゃん、と霊水がしたたり落ちている。

 扉工房に存在していた無数の扉は、いつの間にか透明な扉を除いて、全て姿を消していた。

「クナドはまだ、生きていると思う」

 紺野がそう言った、その瞬間。

 ────バタン!

 透明な扉が、勢い良く開いた。

「大地よ!」

 ヒマリの姿をしたクスコが現れた。

「クスコ!」

「久しぶりじゃの」

 梅とカナメも、扉の奥から歩いて来る。

「クスコ! 梅! カナメも来てくれたのか……!」

 大地の心に希望の光が明るく灯り、安堵と幸せな気持ちがじわじわと沸き起こる。

 ようやく彼らと再会を果たせた。

 喉の奥から、熱いものがこみあげてくる。

 ヒマリに扮したクスコは、大地にギュッと抱きついた。

「よく頑張ったのう、大地よ」

 偉かった、偉かった、と労わるように、クスコは大地の頭を優しく撫でた。

 その途端、大地はクスコの肩に頭をうずめ、何も言えなくなってしまった。

「大地よ。何度呪われても、おぬしは負けなかったのじゃな。自分で何度も呪いを解いた。おぬしの強さは本物じゃ」

「…………」

 その言葉を聞くと、大地は胸がいっぱいになった。

 扉工房に一人で迷い込んでしまってからというもの、何度も「もう駄目なのではないか」と諦めたくなる自分がいた。

 死の淵まで追い詰められ、紺野を救えないんじゃないかと思った事もある。

 やっと信頼できる仲間に、再会できた。

 大地はそれが何よりも心強い事なのだと、痛いほど感じている。

「…………大地」

 紺野は大地が女性の肩に顔をうずめて泣いている事がわかり、強そうに見えた彼にこんな一面があった事に、驚きを隠せなかった。

「紺野、これで心置きなく戦える。絶対にさくら達を助け出してみせるぞ。必ずだ」

「…………うん」

 大地の瞳に、今まで見たことの無いくらいの熱い闘志が宿っている。

 紺野はドゥーベと目が合った。

 彼女は嬉しそうに、ぴょんぴょんと跳ねながら空を飛んでいる。

「大地。無事で本当に、ようございましたね」

 姿勢はシャンとしているものの、梅の声が少しだけ震えている。

 大地が無事なことを確認すると、梅はホッとして体中の力が抜けそうになっていた。

「一時は、どうなるかと…………」

 親代わりとしていつも見守ってくれていた彼女は、大地の事が心配で心配で、心が張り裂けんばかりだったのである。

「ああ。心配かけたな、梅」

「梅さん? もしかして、いつも神社の社務所にいる?」

 紺野は目を見張り、梅をじっと見つめてしまう。

「はい。大地の親代わりでございます。いつも大地がお世話になっております」

 梅は紺野に自己紹介をした後、懐から朱色の杖を取り出し、一振りした。

 黄金の炎が扉工房の中を包み、その温かい空気はあたりの様子を一変させた。

 透明な扉のすぐ横に、大きな茶色のちゃぶ台が登場した。

「どうぞ、温かいうちにお召し上がりください。その扉はしばらく使えないようですので」

 一緒に現れた紫色の茶器で梅はほうじ茶を淹れ、桜の花の形をした練り菓子を出して、全員に座るよう合図した。

「どうして使えないんだ?」

 絶句している紺野をよそに、皆はそれに従って大人しく茶と菓子を楽しんだ。

「この扉は一度使うと、しばらく正体がおぼろになるようです。ほら」

 梅は立ち上がり、透明な扉を触ってみせようとした。

 梅の手は何度も扉を、すり抜けてしまう。

「…………なるほど。来たが最後、すぐに出る事が出来なくなるわけか」

 ようやく皆に倣い、紺野は恐る恐る一緒に茶菓子に手を伸ばし始めている。

 一生分ビックリした気がするので、紺野は何があっても驚かないような気がする。

「本当に大変でございましたね、お二人とも」

「…………梅さんは魔法使い、だったのですか?」

 それを聞いた梅は「ほほほ」と紺野に笑いかけた。

「いいえ。しがない鳳凰でございますよ、紺野さん」

 大地は、改めて紺野に梅とカナメを紹介した。

 梅が神社の社務所にいる女性であることは知っていたが、正体が鳳凰であることに、紺野は全く気づいていなかった。

 それからカナメが神社を守る獅子だと聞いた時は、驚きを隠せなかった。

「そんなに驚かれると、話しづらいな」

 カナメは自己紹介に慣れていないらしく、恥ずかしそうに紺野に挨拶をした。

 神社を守る獅子や鳳凰が、人間に変身して大地と自分を助けに来てくれたのである、紺野が驚くのも無理はない。

 しかも紺野はもう一度、驚く羽目に陥った。

「紺野、この女はあの『クスコ』だ」

 目を丸くしながら紺野は、ヒマリに扮したクスコを見つめた。

「クスコ?」

 目の前にいるのは艶やかな黒い髪と透き通るような白い肌を持つ、美しい女性。

「えええええっ?!」

 何があっても驚かないと思った矢先に、この状態である。

 紺野の驚きっぷりに、大地は笑いがこらえられなくなった。

「わははっ! お前、ホントにヘタレだな紺野!」

「久しぶりじゃのう、紺野よ」

「あ、はい、お。お久ぶ……りです、クスコ、ってあの、小さな白いドラゴンの……『ロボ』とか言ってごまかした?」

「何だ。お前にはバレてたのか、ロボじゃないこと」

「やっぱり…………ロボじゃ、なかったんだ?」

 ズサーーーーッ!!! と紺野は後ずさりした。

「安心しろよ紺野。クスコは良い奴だ。そこにいる梅もカナメも、俺の大事な仲間だからな」

 段々状況が理解出来たらしく、紺野は少し警戒を解いた表情を浮かべている。

 大地が今までの出来事をクスコ達に語って聞かせている間じゅう、ドゥーベは嬉しそうに、何度も宙返りして見せた。

「大地。お前は捉えられたほかの人間を探し出せ。透明な扉が使えるようになったら紺野は責任を持って、俺があちらの世界へ連れて行く」

 カナメがそう言うと、大地は一瞬紺野の方に目をやり、静かに頷く。

「ああ、それがいいだろうな。頼む」

 紺野をまた危険な目に遭わせるわけにはいかないので、社務所へ連れて行ってもらい、結月と一緒にカナメ達に守ってもらった方がいい。

 ぴちゃん、ぴちゃん、という音が鍾乳洞の中に反響する。

 中央にそびえ立つ透明な扉が力強い存在感を放ちながら、静かにそびえ立っている。

「……カナメ。ハトムギはどうしてる?」

「元気だ。だが、シュンがいなくなった。あちこち探しているんだが…………」

「シュンが?」

「ああ。お前はあいつに会わなかったか?」

「いや。会わなかった」

「やはり、お前もあいつの行方を知らないのか…………」

 カナメは、大地がどこかでシュンと会ったかもしれないと、少し期待していた。

 だが大地も、シュンの行方を知らない。

 一体彼はどこへ行ってしまったのだろう?

 残念そうに肩を落としたが、カナメは気持ちを切り替え、クナドがシュンを扉の中へ追いやった時の出来事をかいつまんで大地に話して聞かせた。

「クナドの野郎…………」

 大地は、一瞬でもクナドを見直した自分が馬鹿だった、と猛烈な怒りが沸き上がった。

「性根が狂ってやがる。やっぱりあいつ(クナド)は、黒龍側の神なんだな」

 黒龍側と白龍側の決定的な違いとは、たとえ自分を犠牲にしてでも全身全霊で、他者を守れるかどうかだと大地は思っている。

 守りたがらないのが黒龍側。

 守ろうと努めるのが白龍側だ。

「…………それにしてもクスコ、お前まだその恰好だったんだな」

 深い海のような、どこまでも澄んだ青の瞳だけは姫毬と異なり、ヒマリに扮したクスコの瞳は、不可思議な動きをしながら、ゆらゆらと揺れている。

「そうじゃ」

 クスコはしばらく大地を見つめ、ピンときた様子で彼にそっと耳打ちした。

「…………おぬしまさか、姫毬の血を吸ったのか」

 大地はぎょっとし、梅に聞かれないように、こそこそとクスコに返事をした。

「違う。逆だ。俺が姫毬に血を吸われたんだ……って、お前姫毬を知ってるのか? てかその姿、よく見るとまんま姫毬そのものじゃねぇか!」

「今頃気づいたか。姫毬は昔なじみさ。この姿を借りることについては、本人の許可を得ておる」

 大地はクスコと姫毬の雰囲気があまりにも違い過ぎるため、彼女が扮したヒマリがあの姫毬と同じ容姿であることに、今まで気づいていなかった。

「その恰好することに、何か意味があるのか?」

「おおいにな」

 大地は、クスコが一体誰に対して自分の正体を隠したがっているのか、今はまだ理解出来なかった。

「大地よ、姫毬と仲間の女三人はちゃんと、生きておったぞ」

「…………ああ。岩時城の天守閣に無事、戻れたんだろ?」

「そうじゃ」

 夢で会えた通りだと、大地はほっとしながら頷いた。

 トワケもついているし、これで姫毬達は大丈夫だ。

 クスコは例の破魔矢を、大地にそっと手渡した。

「これ、どうして…………」

「おぬしが持っていた方がよかろ。なに、姫毬からあずかったのじゃよ。おぬしに返してくれと頼まれての」

 大地はクスコから、大切な破魔矢を受け取った。

 離れても、また自分の所へと戻って来る。

 不思議な矢だ、としみじみ思った。