衣の神(ころものかみ)エセナは、金銀まだら色の背中まで伸びた髪を揺らし、透き通った羽衣の力で、空にフワフワと浮かんでいた。

「何だったの。あのピンク色の、ヘンテコなドラゴンは! あの太い破魔矢(はまや)を抜くなんて!」

 情けない思いでいっぱいになりながら、エセナはぶつぶつと呟いた。

「あの破魔矢(はまや)の一部になって、クスコの息の根を完全に止めろと、黒龍(こくりゅう)ミナ様に命じられていたのに!」

 その計画は、失敗に終わった。

「そうですねー。ホントびっくりしましたー」

 心ここにあらずの様子で、すぐ横を飛ぶエセナに返事をしたのは、透き通る4つの羽根をパタパタと動かしている、泡の神(あわのかみ)ウタカタである。

「実際ピンク色のドラゴンを見たのは、アタシも初めてですよー」

 目まぐるしく七色に変化する瞳を動かしながら、ウタカタは今も人間を観察する事に夢中になっている。

 その視線は岩時祭りの、舞台の方角を向いていた。

「あの色って、白龍(はくりゅう)となにかのハーフじゃないですかー?」

 七色の髪留めでツインテールに美しく結ったウタカタの髪の色も、忙しそうにくるくると、赤・(だいだい)・黄・緑・青・(あい)(すみれ)に変化し続けている。

「そう書かれた古い書物をアタシ、読んだことがありますー」

 ウタカタを見ているだけで落ち着かない気分になってしまい、エセナは彼女から目をそらしながら、透き通る羽衣で巻かれた細い両腕を上げた。

「白龍なんて高天原に、数えるくらいしかいないじゃないの。誰の子なの」

「知りませんー」

 いつの間にやらクスコも破魔矢(はまや)も、どこかへと姿を消してしまった。これこそ、黒龍ミナ様が最も恐れていたことではないか?

 早くこのことを報告しないと。

「ねぇ、ウタカタ」

 エセナは灰褐色の瞳を、もう一度ウタカタへと向けた。

 人間の年齢でいうと16歳くらいの姿をしたエセナに対し、ウタカタは9歳くらいの少女の姿になっているので、大きな姉が小さな妹を見下ろすような雰囲気だ。

高天原(たかまがはら)に戻った方が、いいと思うの」

 ふたつの豊満な乳房のすぐ下で腕組みをし、彼女は「ハァ……」とため息をついた。

「そもそも私達は、人間の世界に降りるはずでは無かったじゃないの」

 どこかから飛んできた得体の知れない桃色のドラゴンにいきなり矢を抜かれてしまい、そのせいで自分たちは元の姿に戻ってしまったのだ。

「せっかく来たのに、わざわざ怒られに帰るのですかー? 殺されるだけですよー」

「殺されるっ?! 私達が?!」

 エセナは3メートルくらい、空の上で後ずさった。

 ウタカタはにこりとも笑わずに、こくりと頷いた。

「そーですよ、アタシらなんてー、ただの手駒に過ぎませんからねー」

 怒られたっていいから早く戻った方がいいと、エセナは思っていた。

 だが、殺されるとなると話は別だ。

「エセナちゃん。黒龍ミナ様の目は、万能ですー。アタシらがどんなに離れた場所にいようとも、全てご存知のはずですよー」

「…………!」

「高天原から動けないからといって、あの方を甘く見ない方がいいですー」

 エセナはイライラした表情で、自分のこめかみを指でつついた。

「甘く見てなどいないわ。…………だから岩の神フツヌシも、道の神クナドも、時の神スズネも、『光る魂』を狩る事に、あんなににこだわっていたの?」

 ごくりと生唾を飲みこんだエセナをちらりと見てから、ウタカタははじめて笑った。

「そーです! でもでもー、ホントは食べてみたく無いですかー? 私たちも!」

「何を?」

「光る魂ですよー! あんなにいっぱいあるんだから、ひとつずつくらい味見したって、いいと思いますー!」

「えー…………私パス」

 エセナは「無理無理」といいながら、首と右手を同時に横に振った。

「そーですか? 綺麗なんですよー! たくさん持ち帰れば、ミナ様のご機嫌を取ることだって出来ると思いますー」

 そうか。
 なるほど、とエセナは思った。

「アタシらの首も、きっとどうにかつながりますよー!」

 なら、やるしか無いのかも知れない。

「…………わかったわ、私もやる。『光る魂』を見つけて、狩る」

 少し身を乗り出して自分を見つめるエセナに気づき、ウタカタは言葉にくぎを刺した。

「ま、結局は殺されるかも知れませんけどねー!」

 がくっ。
 エセナは首を垂れた。
 
「殺されるなら、骨を折ったところで意味ないじゃないの」

 そんな彼女の憂鬱をよそに、目をキラキラと輝かせながら、ウタカタは語った。

「やらないよりは、やってみる価値ありますー。てか、どうせ死ぬんだったら、その前に『光る魂』を食べてみたいのですー!」

 エセナは正直、光る魂にはあまり興味が無かった。

 美味しい食べ物は他に、たくさんあるからだ。

 でも今は、他の4体の神々と、行動を共にするほかはない。

 自分には『光る魂』を見つける能力(ちから)が無いと、エセナは薄々感じていた。おそらく、まるで興味が無いからだろう。

 エセナは内心、能力が高いウタカタや他の4体の神々に、大きな嫉妬心を覚えていた。





 急に、あたりが暗くなった。

 舞台のまわりだけ、灯篭(とうろう)の灯りが消え始める。

「あ、エセナちゃん。幕が開きましたよー」

「…………ホントね」

 ウタカタは、七色に変化する髪の色と目の色を楽しそうに動かしながら、エセナに笑顔でこう言った。

「あれですー! 『光る魂』!」

 ウタカタはワクワクした様子で空の上から、結月が一人で立っている舞台袖を指さした。

 エセナは目を細めて舞台袖をよく見たが、光る魂は見えなかった。

「暗すぎてよく見えないわ。誰のことを言ってるの? 私はあなたみたいに、目が良くないんだもの」

 赤・(だいだい)・黄・緑・青・(あい)(すみれ)の七色に変化しているウタカタの瞳を、羨ましく思いながらエセナは口を開いた。

「大きな絵に、絵筆を使って何か描いている、あの女の子ですよー」

 作業をしている結月の方を、もう一度ウタカタが指さした。

 エセナはぽんと、手を叩いた。

「ああ、あの人間ね!……でもホントにアレが『光る魂』なの? 違うのを捕まえたら、ミナ様に殺されちゃう」

 エセナは憂鬱そうに、深いため息をついた。

「間違いないですー! あの魂は少々元気を無くしていてー、わかりづらいのですー」

 ウタカタはエセナの右腕に自分の左腕をぐるりと絡ませ、こう言うった。

「さぁ、確保しちゃいましょー! れっつごー!」

 合図とともにウタカタが急降下しようとした、その時。

 エセナの瞳に、一人の少女の姿が飛び込んできた。

 筒女神の白装束を着た色白の、美しい少女である。

 彼女だけがエセナの目には、光り輝いて見えた。

『あれは、誰?』

 彼女は笑顔で、背伸びをするように後ろで手を組み、客席の椅子に座る桃色の髪の少年を見つめている。

 目の形は大きなたれ目の、 二重瞼。

 瞳の色は黒だが、エセナの目には時々桜色に輝いて見えた。

 つややかでまっすぐな黒髪は腰まであり、前髪は眉と目の間くらいで真っ直ぐに、切りそろえられている。

『なんて綺麗なの…………!』

 エセナは急に、そちらに近づきたくて我慢ができなくなり、少女が立っている方角へ向かって、一人だけで降下を始めた。

 




「あれ…………。エセナちゃん?」

 ウタカタはふと、キョロキョロあたりを見回した。

「…………???」

 気づくと、腕を組んでいたはずのエセナはどこかへ、いなくなっていた。