話は、ほんの少し前に遡る。

「…………なんと!」

 トワケは呆気にとられた。

 大地の身長と同じくらいの長さだったはずの海神の杖が、グネグネと動きながら、使いやすそうな長さの小さな杖へと、変化したのである。

「変化するという言い伝えは聞いたことがあったが…………まるで海神の杖は、生き物のようじゃな」

 長年持っていた杖が、持つ者が変わっただけでこれほど簡単に変化するなど、思いもよらなかった事実である。

 まるで天璇(メラク)の鉾のようだ。

 どうやら大地が放った天璣(フェクダ)の力に天璇(メラク)の力が合体し、さらに『黒天枢(クスドゥーベ)』の力が加わったらしい。

 『黒天枢(クスドゥーベ)』は既存の空間を破壊し、自分流に構築する力だ。

 大地が持つことにより、海神の杖が持つ本来の力を、最大限まで引き出したというわけだ。

「こりゃの、太古の海神(ワダツミ)の牙を削って作られた杖だと言い伝えられておる。現時点で生き残っておる最古の水神は、我なのじゃが…………」

 海神の杖が自分では無く、大地の力によって変化したことに、トワケは強い衝撃を受けた。

「…………使い方次第では、武器にも盾にもなるかも知れぬの」

 自分が使っていた時に変化しなかったのが、トワケには悔やまれる。

 こんな風に『変化する杖』だという事が、わかっていたのなら…………。

 だが。

 元々杖しか使わない自分に、ほかの武器に変化した海神の杖が使いこなせたかどうかは、疑わしい。

「こうも独創的となると…………」

 自分が大地に力を教える事そのものが、良い事では無い可能性がある。

 基本には忠実であるに越したことは無いが、その『基本』すら疑いたくなる。

 今まで守ってきたルールの全てが、大地にかかるとどうしても、ちっぽけなものに思えてしまうのだ。

 この規格外の男に、自分流の教え方を押し付けるのが、そもそも正解なのかすら疑わしい。

 想像をはるかに超えた大地の力をどうしたものか、とトワケは思案した。

 『咲蔵』から大地が離れてしまっては、大変危険な気もする。

 だが、もう彼を行かせるしかない。

 トワケは練習の、最後の仕上げを行うことにした。

「大地よ、もう一度だけ力を絞って天枢(ドゥーベ)を唱えてみよ」

 大地は頷き、静かに詠唱する。

「『天枢(ドゥーベ)』」

 大地の天枢(ドゥーベ)は白く光りながら咲蔵全体を照らし、岩時城の中と外を綺麗に映し出していく。

 天枢(ドゥーベ)のレベル上げは何とか成功していたが、もう少し力を上げようとするとどうしても、黒の力である『黒天枢(クスドゥーベ)』に転じてしまう。

 そのせいで扉工房へ行く肝心な空間が暗黒に染まり、中が良く見えない。

 空間把握能力『天枢(ドゥーベ)』は大地にとって、最も扱いづらい力だった。

 大地の中にある『黒天枢(クスドゥーベ)』の力が、あまりにも大きすぎるのが原因なのかも知れない。

「大地よ、天璣(フェクダ)は与える力。黒天璣(クスフェクダ)は奪う力じゃ。天枢(ドゥーベ)の力も、天璣(フェクダ)と原理は同じなのじゃよ。天璣(フェクダ)を使うつもりで天枢(ドゥーベ)をもう一度唱えてみよ」

 この一言が、きっかけになった。

天枢(ドゥーベ)

 大地はどうにか、上手く天枢(ドゥーベ)を扱うコツを掴んだ気がする。

 使えば使うほど『天枢(ドゥーベ)』はどんどん洗練されていき、先ほどよりもはっきりと、咲蔵から出た後に進む方角を、理解できるようになった。

 扉工房がある『二時の方角』が、どちらを指すのかがピタリとわかる。
 
 そこに潜む敵の姿も、現段階で視覚化されて、確認することができる。

 闇の中に、蛇に似た血まみれの女たちの姿が浮かぶ。

 どうやら闇空間に潜む一番の強敵は、鋭い『渇き』を持つ九頭竜のようだ。

 それらを把握するところまでは、コントロールできるようになった。

「ようやく、完璧に把握が出来るようになったのう」

 あとは、そこに飛び込むだけ。

「大地よ。力を使っているときに、黒に転じて危ないと感じたら、天璣(フェクダ)の使い方を思い出すのじゃ。奪う事に気を取られてはならぬ」

 大地は成長の速さが凄まじい。

 計り知れないし末恐ろしくもある。

 だが、もう彼を咲蔵に閉じ込めておくわけにはいかない。

「何かを生み出すには新たな刺激と出会い、心の中の深い場所でまぐわう必要がある。それが自分とは異なる生き物…………あるいはモノである場合もじゃ。何らかの感銘を受けながら、我らは成長していくしかない」

 これで何とか、大地を『扉工房』へ行かせられる。

 不安要素はたくさんあるが。

天璣(フェクダ)しか使えぬ我には………本当の意味でそなたという生き物を、理解できぬのかも知れないのう。人間の血とは、そういうものなのじゃな」

 心配じゃから、我もそなたと一緒に行きたいのじゃがな。

 トワケは悲しそうに言った。

「我はこの場所にあまりにも長く居すぎたせいで、ここに深く根を張ってしまっていて、外へ出られぬのじゃ」

 よく見ると、トワケの足からは触手が伸びており、それが地面としっかり繋がっている。

「そっか。…………ありがとうな、トワケ。おかげで強くなれた。教えられたことは忘れない」

 大地はもっと気の利いた『お礼』をトワケに伝えたかったが、出てきた言葉はたったそれだけだった。

 けれどトワケは、その言葉で十分嬉しかった。

「うむ。さっきも確認したが、覚えたことを口に出してみよ。まず一番目」

「出来るだけ闇を生まない」

「二番目」

天璇(メラク)で武器を作らない」

「三番目」

「『天璣(フェクダ)』の使い方を思い出す」

「よい。しばしの別れじゃ、大地よ」

「ああ……体に気をつけろよジジイ」

「……ジジイとは何事じゃーっ!」

 老紳士は最後に笑ったが、これでもう大地と会えなくなってしまうのかと思うと、寂しさがこみ上げてくる。

 だが、いつかまた会えると信じ、こみ上げて来る涙をそっとこらえた。

 大地は武器工房『咲蔵』に別れを告げ、去って行った。

 彼を送り出した後、トワケは独り言をつぶやいた。

「この場所から、そなたを出したく無かったのう」

 そなたに武器を作らせたなら、楽しかったろうに。

 そうトワケが独り言をつぶやいていると、弟子達が戻ってきて、一つ一つの道具を目にして驚きの声を上げた。

「お師匠、これ…………」

 トワケは息を飲んだ。

 武器工房のテーブルの上にあった道具達が、輝くように美しく磨かれており、以前よりも使いやすい形へと変わっている。

 武器工房は光にあふれ、そして今までにはない静寂に満ちている。

「大地の力じゃ。あやつめ…………」

 トワケはゆっくりと微笑んだ。

 









 

 扉工房までは、姫毬たち4人の美女がついてきてくれた。

「まだ大丈夫そうだから、クナドについて、必要最低限の事だけは教えておくね」

 姫毬の話を聞きながら、大地は扉工房へ繋がる長い長い回廊を進んだ。

 岩時城の咲蔵から、松明によって照らされた長い回廊を進むうち、どんどん松明の数が少なくなっていき、足元が暗くなっていく。

 大地は天璣(フェクダ)を唱え、しばらくの間目の前を照らした。

「クナドは元々、白龍側の神だった」

 姫毬は慎重にあたりに気を配りながら、話し出した。

 白龍側の神になれる者の数は大変少ないが、黒龍側の神に転じることはたやすい。

 心に闇を抱えれば、白龍側の神は誰もが黒龍側の神へと墜ちる事が可能なのである。

「クナドは最初、分別もあって、あらゆる者に優しくて、とても親切だったの」

「…………そうだったのか」

 何となく想像は出来た。

 クナドの物腰は柔らかい。

 騙されそうになるくらい。

「強いが故、様々な心の境界をクナドは軽く越えられた。好きになった者たちを救う道を常に模索し続ける、良い神だった。でもクナドはラーフという名の美しい、黒龍側の神と出会ってしまったの」

 クナドは彼女の「夫が憎いので殺したい」という願いを、叶えようとしてしまった。

「ラーフは嫉妬深くて、性根が悪い女だった。だから平然と裏切る。隠していたけれどね」

 クナドは多分、そういう彼女も知っていた。

 それでも彼は美しいラーフに篭絡され、夫殺しに協力してしまったという。

「ラーフを心から愛してしまったのがクナドの、最大の過ちだったの。夫殺しの道を示し、願いを叶えてあげた。その後哀れなあの男の心は醜い闇に染まり、自分が進むべき道を完全に違えた。自業自得ともいえるけれど」

 本人が知ってか知らずか、転落していく日々。

 身に覚えのない妬みを買い、あっという間にラーフにも裏切られた。

 それまでに救ってあげた魂や、救ってあげた者たちの体や手足を、憎しみと嫉妬に囚われたラーフによってバラバラに切断された上、皆殺しにされたクナド。

「呪われた心は破滅を生む」

 ショックのあまりクナドは、快楽以外の全ての感情を閉ざし、ラーフという女の事を頭から追いやった。

 関わった女たちを一つの扉へと続くこの回廊に押し込めて、歪んだ心を抱えたまま生きてきた。

「ほら、来たよ」

 姫毬の声で、女達4人と大地の顔に緊張が走る。


 回廊の先には、クナドによってボロボロにされた、血まみれになった女達の姿があった。