道の神クナドの天枢(ドゥーベ)の力に、紺野はいつしか夢中になった。

 城の内外についてだけではなく、生き物に関する基本的な情報や、それらに関わった際のメリットやデメリット及び注意事項なども、こと細かに把握できてしまう。

 唱えるだけで手に取るように、それら全てを知ることができた。

 例えば、露木さくらの近くにいる少年の情報は…………

天枢(ドゥーベ)

 名前:ナユナン
 性別:男
 年齢:(人間年齢で)5歳
 性格:負けず嫌い
 身長:110センチ
 体重:18キログラム
 クラブ:サイセンタン
 特技:衣装デザイン
 趣味:美しいものを愛でること
 好きなもの:お姉ちゃま♡
 嫌いなもの:美しくないもの
 境遇:羽衣の城の王子
 口癖:なの ナユナンは

「って…………すごいな」

 念じるだけで、ナユナン少年の基本情報がわかってしまう。

 ナユナンは金糸と銀糸の飾り紐で彩られた白ブラウスの上に、桃色の上等そうな、ふんわりとした袖なしの外套を羽織っている。

 人間の少年の姿をしたナユナンは、まるで王子そのものだ。

 基本情報だけを見ても、一層謎が深まるばかりなのが実に不思議である。

 それにしても、こんな情報をあっという間に閲覧できるとは。

 紺野は改めて、クナドの力が末恐ろしくなった。
 
「声まで聞こえてくる…………」

 薄っすらとしか聞こえないが、ナユナンはさくらにこう言っていた。

『お姉ちゃまがここにいてくれないと、ナユナンはとってもイヤなの』

「…………」

 どこぞのアニメに登場する、変態幼児を思い出してしまう。

 どうやらさくらは、天井を支える巨大な灰褐色の柱に、しっかりと括り付けられているらしい。

 クリーム色の羽衣でぐるぐる巻きにされながら、彼女は首を小さく横に振っている。

 ナユナンの言葉に返事が出来ず、必死で抵抗しているのが見て取れる。

 薄くて丈夫な布で口の部分をぐるぐる巻きにされており、そのせいでさくらは、話ができないらしい。

 ナユナンの近くに、黒くて丸い形をしたクラゲが「つつーっ!」と近寄ってきた。

 ゼリー状の体をプルプルと揺らしながら、クラゲはナユナンに声をかけている。

『ナユナン様、大丈夫ッスよー。羽衣は、そう簡単には千切れません。この女性はもうナユナン様のものでーっす。これぞチョロインっスねー!』

「…………」

 あまりにも軽薄で、クナド以上のバカっぷりに背筋が凍りそうになる。

 紺野は天枢(ドゥーベ)を使い、クラゲの基本情報を覗き見た。

 名前:チョロット
 年齢:(人間年齢で)19歳
 性格:超知りたがり
 身長:60センチ
 体重:9キログラム
 クラブ:サイセンタン
 特技:ゴマすりと裏工作
 趣味:ナユナンのお世話
 好きなもの:美女
 嫌いなもの:男
 境遇:変化クラゲ。ナユナンの従者
 口癖:ッス  チョロッと

『あ。ちょっと彼女の口元の羽衣が、外れそうになってるッス! よっし、チョロッとこのチョロットが、それを直して差し上げるッス』

『ダメッ!』

 ナユナンは右手を振り上げた。

 その勢いと同時にチョロットは、ブウンッ! と音を立てて5メートルくらい吹っ飛び、固くてごつごつとした壁に激突した。

 ────ゴンッ!!

『んぎゃッ!』

『チョロットは、このお姉ちゃまに触ったらゼッタイダメなの。このお姉ちゃまは、ナユナンのものなのだから』

 ナユナンはさくらを指さした。

 すると。緩んでいた羽衣はゆっくりと、彼女の口を再びピタリと覆った。

 まるでナユナンが力を使って、さくらの口を覆う羽衣を動かしたように見える。

『いいかい、チョロット。このお姉ちゃまは、見て楽しむの。ゼッタイに触っちゃダメなの。ナユナンがお姉ちゃまに、いっぱい服を作ってあげるの。着せても誰にも見せないの。だってこのお姉ちゃまは、ナユナンだけのものなの。お姉ちゃまに、もしものことがあったらナユナンはナユナンは……』

 あーん…………

 あーん…………

 ナユナンはポロポロと、大粒の涙を流し始めた。

 慌ててナユナンに近寄ったチョロットは、少年の背中をたくさんの触手で優しくさすりながら慰めた。
 
『でも…………もしですよ。もし万が一あの方が来たらどうします?』

『お姉ちゃまを隠すのっ!』

 うわあーーーん…………

 ナユナンの鳴き声が徐々に、激しく強くなっていく。

『でも、見つかったらどうします?』

『お姉ちゃまは見つからないの! ナユナンが、ずっとずっとこの城に隠すの!』

 そんなに上手くいくかなあ?

 チョロットのちょろっとした呟きは、ギャアギャア泣き叫ぶナユナンの声にかき消された。

 やがて泣き疲れたナユナンは、ケロッとした笑顔に変わった。

『さ。お洋服、つーくろっと! お姉ちゃま、待っててね』

 ナユナンはいそいそと、部屋の一番隅にある、へんてこな形のミシンに近づき、鼻歌を歌いながら羽衣を使って、洋服のような何かを作り始めた。

 さくらはもがくのをあきらめ、ぐったりと柱にもたれかかっている。

 紺野は急に、我に返った。

 …………あれは監禁だ。

 理由はどうあれ許せない。

 冷静さを失いそうになり、腹の底から怒りが沸き上がってくる。

「無理やり彼女をあんな場所に……」

 その途端、天枢(ドゥーベ)が生んだ景色が消え去り、再び視界が扉工房へ戻ってきてしまった。

 少しでも集中と冷静さを失うと、術が解けてしまうらしい。

 ナユナンとチョロットのやり取りを見た限りでは、彼らはさくらを『見て楽しむ』ためだけに、監禁しているように思える。

 さくらを汚したり苦しめたりするわけでは無く、あくまでも『愛でる』に留まり、魂を奪う目的とも異なるようだ。

 だが、彼女は誰のものでも無い。

 彼女自身がそれを決めるのならまだ理解できるが、たとえ5歳児であっても他者が勝手に彼女を「自分のもの」にしてしまうのは、間違っている。

 まだ彼女は最悪の事態にまでは陥っていないようで、ひとまずはほっとしたが、一刻も早く安全な場所へ助け出したい。

 発想を逆転させると、あの奇妙な羽衣の城に囚われている限り、ナユナン少年が注意深く彼女を見張っていてくれる、ということにはなるが。

 いつ、どうなってしまうのか予測が出来ないので、一刻の猶予も許されない事に変わりはない。

「…………それにしても『クラブ:サイセンタン』って何だろう?」

 紺野が尋ねると、近くを飛ぶ少女は「わからないわ」というように、首を傾げた。

 彼女と目が合った瞬間、予期せず天枢(ドゥーベ)が発動されてしまう。

「わ。ごめん!」

 個人情報を勝手に。
 次からは気をつけなきゃ…………

 名前:ドゥーベ
 年齢:(人間年齢で)10歳
 性格:優しくて世話好き
 身長:5センチ
 体重:??
 クラブ:なし
 特技:情報あつめ
 趣味:困っている誰かを助ける
 好きなもの:甘い水
 嫌いなもの:苦い水
 境遇:人を導き、守る妖精

「え。君、ドゥーベっていう名前なの?」

 ドゥーベはうんうん! と頷く。

「名前がドゥーベってことは、君は天枢(ドゥーベ)の力と何か関係が?」

 ドゥーベはにっこりと微笑んだ。

 彼女は楽しそうにクルクルと回り、「これ、見て見て!」とでも言うように、翼をはためかせながら両腕を振り上げた。

 再び羽衣が巻かれたような城が、紺野の視界に飛び込んできた。

 不確かなリズムで、その城はゆらゆらと揺れている。

 とても建物とは思えない。

 突風など、勢いのあるものたちには、フワフワとすぐになびく。

 尊さも醜悪さも、色も形も、その時の気分次第で変わってしまう。

 透き通って輝いたり、どす黒くなって濁ったり。

 儚くて可憐に見せたり、強くて猛々しく見せたり、羽衣の思うがまま。

 バランスを崩して流されて、消えてしまわないのが、唯一の不思議。


 道の神クナドの天枢(ドゥーベ)はさらに、岩時城全体を映し出す。


 天枢(ドゥーベ)は天守閣と羽衣の城以外の建物に、注目し始めた。


 六時の方角に見える、ごつごつした巨大な岩が乱立した場所に、岩の神に扮した矢白木 凌太(やしろぎ りょうた)が囚われている。

「凌太!」

 赤い天狗の面を首にかけ、黒袴の袖をたくし上げた凌太が、太鼓に似た大きな岩に向かって、赤い炎みたいな鉢を何度も打ちつけている。

 近くには岩に似た、髭面で筋肉ムキムキのスキンヘッドの男が、腕組みをしながら立っている。

 紺野は天枢(ドゥーベ)で、髭巨漢の情報を入手した。

 名前:岩の神フツヌシ

「岩の神…………」

 さらに天枢(ドゥーベ)は十時の方角にある、巨大な螺旋がいくつか入り組んで作られた、迷路みたいな建物に注目する。

 そこには青い浴衣を着た羽山 律(はやま りつ)が囚われており、彼女はピアノを演奏させられいた。

「羽山さん!」

 律のすぐ側に、上品なたたずまいをした年齢不詳の美魔女が立っている。

 紺野は天枢(ドゥーベ)を使い、美魔女の情報を入手した。

 名前:時の神スズネ

「時の神…………」

 努力と才能と想像力の申し子である律は、空気の波動を変えるような音を鳴らしながら、巨大な赤いピアノの演奏をさせられている。

「みんな、ここに囚われていたのか……」

 どうして…………?

 謎が謎を呼ぶ。

 でも、一つだけ確かなことがある。


 囚われた生贄はまだ、一人も連れ去られていない、という事だ。


「大地…………早く来て」


 自分とドゥーベだけでは、到底、解決出来そうもない。


 天枢(ドゥーベ)の使い過ぎで徐々に頭が朦朧となり、紺野はまた、ウトウトと眠りに落ちてしまうのだった。