紺野和真は、巨大な鍾乳洞の中にいた。

「…………ここ、どこ?」

 自分の声があちこちから、反響している。

 確か本殿の中で『気枯れの儀式』をするため、盆の上に準備されていた霊水に口をつけたはず。

 元いた場所とは違う。

「みんなは、どこへ…………」

 本殿には、さくらと一緒に来た。

 みそぎの順番は自分の方が先だったので、入口の前で別れたはず。

 それっきりだ。

 彼女はどうしているのだろう。

 友人たちは全員、無事なのか?

 神社の本殿は一体、どこへ消えてしまったのだろう。

 紺野はあたりを見回した。

 深くて丸い椀型になった洞窟の壁面や天井からは、乳白色の石灰が幾つもぶら下がっている。

 外部から遮断された雰囲気が漂う。

扉工房(とびらこうぼう)へようこそ」

 背後から急に声がした。

「ギャッ?!」

 紺野は驚いて声を上げた。

 振り向くと、優美な椅子に腰かけた黒髪の青年が、悲しそうな様子でこちらをじっと見つめている。

「君は、男の子?」

 青年の瞳の色は左右で違う。

「はい」

 右がグレーで左が黒に輝いている。

「……ファイナルアンサー?」

 紺野は若干むっとした。

「男ですが何か?」

 幼少期から現在に至るまで、初対面の相手からは同様の質問をされ続けていたので、いい加減慣れてはいる。

 だが、うんざりもしている。

 本人が男だと言っているんだから、一度で納得して欲しい。

 再確認されても性別は変わらない。

 頭に嵌る白い羽冠を両手でむんずと引っ張りながら、青年はいきなり叫び出した。

「あああああー!! どうして間違えたんだろ?! この冠のせい?! 男の子はダメだよ女の子じゃなきゃ僕的にダメなんだよダメ絶対ダメ絶対ダメダメダメ!!」

 見るに堪えない変態だ。

 目を白黒させながら、青年は「ダメ絶対」を連呼し続けている。

「えっと…………」

 紺野はクナドを見て困惑した。

 …………これは、夢の中?

「何が、ダメなんですか?」

 気づくと紺野は、彼に声をかけてしまっていた。

「血の交換は異性とじゃなきゃ」

「?!」

 白と黒の風変わりな袴、大きな黒羽織姿のその青年は、げんなりと脱力しながら返事をした。

「僕は何てことを…………」

 弱々しい声が、洞窟内全体に響き渡る。

「……」

 目の前にいる青年があまりにも異様なため、紺野は自分が置かれている状況すら忘れてしまいそうになった。

 一体彼は、何者なんだろう。

 戸惑いよりも先に、憐れみが沸き上がるのを紺野は感じた。

 当のクナドはふと、手元にある六角形の石を懐から取り出した。

 石の中心部が赤く、ピコンピコンと点滅を繰り返している。

「…………もしかして君、誰かに恋してる?」

「え?」

「『恋のお悩みセンサー』が点滅してる……ああ、だからか」

「???」

 クナドは目の前に立つ小柄な少年を見つめ、急に思い当たった。

 自分が彼の魂に、どうして惹かれたのか。

 淡い恋は、性欲の入口。

 どんなに美しい言葉で彩って飾り立てても、最終的には血の交換にたどり着く。

 艶やかで美味そうな『光る魂』だと感じたのは、彼が恋をしているからだったのか。

 急に姿勢を正し、クナドは自己紹介を始めた。

「僕は道の神クナド。君の名は?」

「…………紺野和真です」

「……コンノカズマね。ホントにごめん」

 震える指で念を送り、クナドは六角形の石に紺野の情報をメモり出した。

「?」

 ────道の神クナド?

 紺野は耳を疑った。

 『岩時神楽』に登場する、高天原天神の?

 青年は自身の事を、神だと言っているのか?

 年は自分より上の様だけど。

 この人、中二病なのだろうか。

 だとしたら可哀想に。

 なぜ今、サラッと謝ったのだろう。

 意味がわからない。

 関わるとロクな事にならないタイプだろうな…………などと、クナドを観察しつつ紺野は、一刻も早く逃げ出したい思いでいっぱいになった。

「君の年は…………18歳になったばかり。大地と同じくらいだね」

「大地を知っているんですか?」

 どうして年齢までわかるのだろう?

 何も打ち明けてないはず。

「うん、この石を見れば大体の情報がわかるんだ。君達、幼馴染でしょ? 大地とは僕も最近、話した事があってね」

「…………え」

 人の個人情報を勝手に。

 この男は、犯罪者か何かか?

「君も吸血行為、未経験だったんだね。それなのに僕は、君の初めてを奪ってしまった」

 ────吸血行為?!

 この男、胡散臭過ぎる。

「あの。僕、……ここから早く出たいんですけど」

「そっか。そうだよね」

 クナドは相槌を打ちながら考えを巡らせ、頭の中で決断した。

『予定通り、和真の『光る魂』を、高天原へ持ち帰らせてもらおう』

 紺野和真は女の子じゃないので、吸血がしたいだけの自分にとっては正直、不要の人物である。

 しかし彼は、とびきり美しい『光る魂』だ。

 最強神ミナに捧げさえすれば、自分の身の安全は確保されるだろう。

 一旦始めた事なのだから、男の子だろうと何だろうと、選り好みしている場合ではない。

「じゃあお詫びに僕から君に、扉を一枚プレゼントするよ! 扉の世界を旅すれば、君は今の悩みから脱出する事ができるんだ!」

「扉?」

 クナドは壁面に向かって念を送った。

 鍾乳石の隙間から、乳白色の水滴がいくつも勢いよく落ちて来る。

 ぴちゃん!

 ぴちゃん!

 ぴちゃん!

 乳白色の水滴は形を作り、様々な形の扉へ変化した。

 赤い扉。

 青い扉。

 黄色い扉。

 丸い扉。

 四角い扉。

 5角形の扉。

 シンプルな扉。

 優美な扉。

 奇妙な装飾の扉。


「どの扉がいい?」


「どこから、こんな扉が…………」


 ────お詫び?


 ────悩み??


 もしかしてこの男、どこかへ自分を誘おうとしている?

 紺野が警戒心を強めた事に気づいたが、ここで諦めるクナドではない。

 扉は彼を食いつかせるための、とっておきのエサだ。

 魂を思い通りに操って動かす為には、ターゲットが最も食いつきそうな(エサ)を美味そうに、目の前にぶら下げておく方法が最適である。

 バランスを失った時を見極め、紺野の心の奥深くに入り込む。

 そして魂ごと奪ってみせる。

 一方、紺野はというと。

『この男、やっぱり頭がおかしい』

 という思いが強まっていた。

 狂っているとしか思えない。

 この無数の扉は一体何なんだ? 

「君の恋のお相手は、『露木さくら』…………あれ?」

 紺野はドキッとし、絶句した。

 何なんだ、この男。

 人の心の中を勝手に…………

 急に心の中を丸裸にされて覗かれたような、嫌悪感が浮かぶ。
 
 ────この男、人の気持ちを暴いて、楽しんでいる。

 それを利用しようとしている。

「お」

 いいね。

 少年の感情が今、大きく動いた。

 『この調子だ』

 クナドは意地悪く微笑んだ。

「否定しないってことは、そうなんだ。でも変だね? さくらちゃんは大地と婚約しているし。もしかして君は二人の婚約が悩みの種なの?」

「婚約?」

「そう」

「委員長と大地が?」

「その様子だと、知らなかった?」

「…………!」

 紺野はショックを受けた。

 委員長が、大地と?

 婚約…………していた?

 どう受け止めたらいいのだろう。

 そもそもこれは、確かな情報なのだろうか。

 本人達に確認するまでは、何も想像するべきではない。

 紺野があれこれ考えている側で、クナドは急に声色を変えた。

「僕は君を応援するよ。和真」

「────え?」

「大地には少々、恨みがあるからね」

 クスコを殺すための破魔矢を抜かれ、ここまで自分は追い詰められた。

 元々は、矢を抜いた大地のせいである。

 細かい説明は省いたが、クナドは紺野にありのままを伝えた。

「それに。君とさくらちゃんをくっつけた方が面白そうだ」

 高天原でいっぱい、イチャイチャできるからね!

 魂を奪われても和真の体は使えるわけだし。

「だから安心して。僕がついてる」

 これでワクワクが増えた、といった様子で嬉しそうに笑うクナド。

 対する紺野は、冷ややかな視線で彼を見つめた。

「…………」

 この男と自分は根底から、何もかもが、かみ合わない。

 さくらが自分を好きになるなんて到底、ありえないのだ。

 嫌というほどそれがわかっている。

 それだけに、呆れと怒りがこみ上げる。

 それに、この男は。

 自分だけのために、人の心や体を好き勝手に、弄びたいと思っている。

 その感覚が到底、許し難い。


「人を弄ぶのはやめて下さい」


 紺野がこう言い終わると。


 彼の言葉に、クナドの頭に乗った白い羽冠が反応を示した。



 羽冠は大きな輝きを放った。



 ──────カッ!!!



 まるで紺野の言葉に、共鳴を示したかのように。


「「────ええっ?!!」」


 クナドと紺野は同時に叫んだ。


 血が逆流するような感覚。


 熱湯が体内を駆け巡る感覚。


 全身が心臓になってしまったような心地がする。


 しばらくの後。


 異変が起きた。


 互いの顔を見て、クナドと紺野は茫然とした。



 クナドは紺野の体に。



 紺野はクナドの体に。



 穴が開くほど互いを見つめ、現状を受け入れられず、固まってしまう。



 クナドは目の前にいる紺野、いや自分の容姿を見つめ、声を震わせた。


「────もしかすると」



「…………?」



「今度こそ何かが完全に、バグっちゃったのかも」