「あり? アタマがすっきりするー」

 ウタカタは急に頭と体が楽になり、ぱっと晴れやかな表情を見せた。

「霊水がようやく効いたかな」

 開陽(ミザール)のウタは、ウタカタの顔を覗き込んだ。

「私たちも、これ以上大きくならずに済んだみたいね」

 開陽(ミザール)のカタは、自分の体と両手を見つめ、ホッとした表情を見せた。

「ぎゃっ!!」

 ウタカタは二人の存在に初めて気づき、声を上げて後ずさった。

「オマエ達! まだいたのー?!」

 ウタは腕を組み、口を尖らせながら反論した。

「『まだいたの』って…………ひどいな。僕たちはこれから、君の中にずっといるんだよ」

「えええーーーっ?!!」

 ウタカタは頭を抱え、心底嫌そうな顔をした。

「よかったね! すっきりして。これでもう、私たちの事がちっとも怖くなくなったでしょ?」

 腰に手を当てたカタにこう言われ、ウタカタは首を傾げながら、もう一度二人をじっと見つめた。

「…………そういえば」

 ウタカタは自分が『おえっ』という気分にならなくなったことと、あんなに気味悪かったウタとカタの二体が、今は怖く無くなっていることに気がついた。

「アタシ、どうなっちゃったのー?」

 ウタカタは自分の体を見つめた。

 今は人の形をしており、人間の年齢でいうと12歳くらいまで成長しているようである。

「あなたは霊水を飲んで、私たちを受け入れたの。ねぇ、ウタカタ。今も『光る魂』を食べたいと思う?」

 カタに聞かれ、ウタカタは『光る魂』を食べる自分を想像した。

 ……………………。

 ついさっきまでは、あんなに食べたいと思っていたのに…………。

 想像するだけで気持ちが悪くなり、急に吐き気が襲ってくる。

「おえぇぇぇぇぇ~…………ゼッタイ嫌~…………!!! でもでも、なんでなんでー?! あんなに美味しくてもっと食べたかったのに~…………」

 ウタカタは想像しながら苦しくなり、自分でもわけのわからない涙をぽろぽろと流し始めた。

「もう…………もう…………、アタシは『光る魂』を食べられないの?」

 ウタとカタは首を横に振った。

「ううん、違う」

「そうじゃないの」

「?」

 首を傾げてちょこんと地面に座るウタカタを見つめながら、二人は優しく彼女の頭を両側から、よしよしと撫で始めた。

「食べたいか、食べたく無いかを、自分で選ぶことができるようになったの」

「??」

 ウタカタは大人しく、二人に撫でられるがままになっている。

 いい子、いい子、という感じで撫でられた部分は、くすぐったくて気持ちがいい。

 二人の優しい仕草によって、ウタカタの心は徐々に、癒されていく。

 とっても心地が良くなってきて、このままずっと撫でてもらいたいなぁ、とウタカタは感じ始めた。

「ウタカタは、結月を食べたい?」

「ウタカタは、結月をミナ様に捧げたい?」

「それとも、どっちもやめて、結月の友達になりたい?」

「…………」

 ウタカタは、結月の事を想った。

 絵を描いて、笑っていた結月。

 話を聞いてくれた結月。

 悩みを打ち明けてくれた結月。

 絵筆とパレットをプレゼントしたら、とても喜んでくれた結月。

「────もう、食べたくない。結月はアタシの、おトモダチだから!」

 ウタカタははにかみながら、ニコッと笑った。

 それを聞くとウタとカタは見つめ合って、嬉しそうに微笑んだ。

「じゃあ、結月を大事に出来るよね」

「なら、結月を守れるよね」


「うん!」


 ウタカタは頷いた。


「結月は、エセナちゃん達と同じ。結月の友達とも、アタシはトモダチになれる。だからアタシはもう『光る魂』を食べない。だって…………食べたら『おえぇっ!』ってなるんだもん!!」


 ウタカタは変化した。


 虹色の橋の姿へ。


 もう『光る魂』は狩らない。


 ミナ様の言う事も聞かない。


 でも、殺されたりはしない。


 自分の事は、自分で決める。


「これから、どーしよっかなー」


 しばらく、休もっかな!


 何だか、疲れちゃったし。


 眠くなっちゃったー。


 ふわ~…………


「んじゃ、オヤスミぃー…………」



 ウタカタは橋の姿で眠り出した。

















「動かぬ橋よの」

 クスコの言葉に、結月を腕に抱いていた大地は、ふと顔を上げた。

 確かに。

 虹の橋は、ずっと静止している。

 ス~…………

 ス~…………

 寝息のような音が、聞こえてくる。

「本当に、寝てるのか。なぁ、それより…………この匂い、何なんだ?」

「匂い?」

「果物みたいな甘酸っぱい匂い……」

「ワシャ何も、感じぬがのう」

「なんかこれ嗅ぐと、喉が渇く……」

 以前も感じた事がある。

 この感覚は一体、何なんだ?

 大地は、自分の腕の中で眠る結月をじっと見つめた。

 どうも、この香りは結月の方から漂ってくるように思える。

 結月の喉元が、白くて滑らかな果物のように見えて、大地は彼女に触れたくてたまらなくなった。

 唇が徐々に吸い寄せられる……。

「大地よ」

「お、おわぁっ?!」

 クスコの声で、大地は我に返った。

 今の、何だ?!

 今、結月に一体、何をしようとした?

 大地は訳が分からなくなった。

「異性の血を欲しておるのじゃ。じゃが決して、結月の喉元に牙を立てるでないぞ。おぬしが吸っていいのは、さくらの血だけじゃ」


「…………は?!」


 クスコの言葉に、大地は仰天した。















 寝台の中で、深名が寝息を立てて眠っている。

 会話を聞かれたくないので、久遠は念を使って爽に話しかけた。

『質問してもいいですか?』

 眠りに落ちた深名は、しばらくは起きないだろう。

 張り詰めていた空気が少し緩み、久遠は大きく深呼吸した。

 自分らしい感覚が、五感を通してようやく戻ってくるのを久遠は感じた。

 謹慎中の深名を見張るため、側近の久遠も外へは一歩も出られない。

 だが今は、爽が深名の部屋にいる。

 とても心強くてありがたいと、久遠は感じていた。

『はい、どうぞ。何でしょう』

 寝台の脇にある椅子に腰かけながら、爽は久遠に笑いかけた。

『以前のような口調で話していただけませんか? 肩が凝りそうで』

『わかった。……側近になっても相変わらずだね、久遠』

 久遠の注文通り、少しくだけた口調に変えながら爽は答えた。

『相変わらずとは?』

『超真面目。その性格で最強神の側近は、疲れるでしょ』

『早く辞めたいです。替わってくれませんか?』

 久遠はため息をついた。

 もうボロボロで、散々だ。

『やだ。寿命が縮むから』

『でしょうね』

 時の神の寿命は縮むのだろうか。

 そんな疑問がふと浮かぶ。
 
 最強神・深名の側近に久遠が任命されたのは、つい最近だ。

 古くから面識があったが、側近になってからというもの、爽とは疎遠になっていた。

 冷静だが人当たりが良い爽は、イライラしてばかりいる久遠とは正反対のタイプである。

『泡の神は『開陽(ミザール)』ごと『光る魂』を食べてしまったため、人間の魂から影響を受け、白龍側の味方についたという事なのでしょうか?』

 爽は映像に目を向け、首を横に振った。

『違うよ。白龍側の味方についたわけじゃない。今まで本人が持たなかった『魂の核』を食べて、それを受け入れた事によって、「自分の意志で行動する生き物に変えられた」というのが、正しいね』

『という事は…………泡の神ウタカタはもう、黒龍神の影響も白龍神の影響も受けない、という事ですか?』

『そう。前例が無いから驚きだよね』

 驚きどころか。

 天地がひっくり返る出来事である。

 神々にとっては、そういう種類の話であるはずだ。

 久遠は絶句しそうになったが、気を取り直して質問を再開した。

『あのまま開陽(ミザール)が、泡の神の体内で大きくなっていた場合は?』

『全く違う生き物になっていたかも知れない。唯一の力であるナナイロも失って、虹の橋に変化することが出来なくなっていた可能性もあるね』

 そうなっていたら、虹色の『天と地の架け橋』でしか世界を行き来出来なかった者達が、大打撃を食らっていた可能性もある。

『…………危ない所でしたね』

 それほど泡の神は、神々の中で強大な存在の一つだったのだ。

 冷静に考えると、ヒヤッとする。

『侵入者を排除して、人間世界をちゃんと修理できたしても、泡の神だけは元に戻せない可能性が高いね』

 爽は四角い石を手に持ったまま、上下に振った。

 カラカラと、音が鳴る。

『あ。修理の間、しばらく人間達の『時』を止めておく事にするよ』

 久遠は頷いた。

 疑問はさらに続く。

 ストレートに聞くしかない。

『深名様の記憶についてですが……。一部消えているのは、あなたがかけた天涯(てんがい)(若返り)の術が原因なのでは?』

 人間を殺すのが、どうしていけないの?

 と、本気で尋ねて来た。

 最強神に必要な『重要な記憶』が、すっぽりと欠落している。

『違うよ、誤解だ。天涯は記憶にまで作用しない。深名様の記憶がおかしいのは、クスコの不在が原因だと思うよ』

『…………』

『もう気づいているんでしょ? 久遠。クスコがどこに忍び込んでいるか』

『…………ええ。見つけました』


 息子である大地の、腰に下げた布袋の中だ。


 彼女はのんきに、小さくなって身を隠している。



 久遠は、これからどうしたものかと思案に暮れた。