うようよとうねる、虹色の空間。

 大きな泡が時々大地の行く手を阻み、立ちふさがる。

 体当たりして泡が弾けても痛みは皆無で、ダメージを食らう事は無い。

 だが、ひとつ問題があった。

 弾けた泡は『びよーん』と伸びてトンネル状に変化し、大地を真ん中にして囲むように、七つの道に分離したのである。

「何なんだ??」

 どの道も同じように七色のオーロラ状になった膜の向こう側へと続いており、その先がどうなっているのかは確認出来ない。

「わけがわかんねぇ…………」

 七色に分かれた道には黄金色の装飾が施されており、可愛らしい桃の実の絵が小さく描かれていた。

「これって」

 泡の神ウタカタが変化した、虹の橋の欄干にそっくりである。

「…………!」

 大地はピンときた。

 もしかして。

 ウタカタの本体が、虹の橋の状態に変化したのかも知れない。

 本体が変化すると、この体の中まで影響を及ぼしてしまうのだろうか?

「……マジで厄介だな!」

 色々と想像しながら大地は、試しに一番近くにあったトンネルに飛び込もうとした。


 ─────ゴン!


 大地のドラゴン頭が音を立て、壁面に激しくぶつかった。

「いてっ!」

 狭すぎて体はおろか、頭もまともに入らない。

「どうすりゃいいんだ?」

 柔らかい泡が変化して、固いトンネルになってしまったため、ドラゴン姿のままだとこの狭い道には入れない。

「なぁ、クスコ」

 大地は首にかかった銀色の、みすまるの鎖にぶら下がった布袋へと声をかけた。

 すると袋の中から、規則正しい寝息が聞こえてきた。

「ス~…………ス~…………」

「……あれ」

 返事が無い。

 どうやらクスコは眠ってしまったようである。

「またか。すぐ寝ちまうんだな」

 相談しようと思ったけれど、自分で考え、行動するしか無さそうである。

 羽ばたきながらトンネルを見つめ、大地は思案に暮れた。

 ドラゴンの姿でいると、人間の姿の時に比べると力や速度は格段に強くなる。

 だがこの姿では今のところ、飛ぶ事と喋ることだけしか出来ない。

 体が大きすぎるため、細かい動きも全く出来ない。

 天璇(メラク)の鉾の力も使えない。

「…………仕方ねぇ」

 大地は人間の姿に戻り、もう一度トンネルの分岐点の前に立った。

 不思議な光景が目に飛び込む。

「……何だ?」

 分岐点の手前に、今まで無かったはずの色が浮かび上がった。

 黒と白である。

 その二つの色は、光り輝いている。

 ぐるぐると規則的に旋回し、徐々に大きくなっていく。

 まるで小さな二体の龍が、互いの尾を追いかけあっているように見える。

 それらは大地の方へと、ぐんぐん近づいて来た。

「お、おわっ!!!」

 大地は吸い寄せられそうな感覚に襲われた、その瞬間。


 声が聞こえてきた。


 小さな少年か少女の声だ。


 まわる。


 まわる。


 まわる。




 ──────黒と白のドラゴンが。




 一瞬、2体のドラゴンが巨大化したように見えた。




 パッ!!!



 先ほど7つに分かれていたはずの道が大きく動いてパカッと開き、新たな空間を作り出していった。


 閃光があたりを包み、虹色の空間の中では異質に映る、白と黒で彩られた謎の大きなトンネルが姿を現した。


 8つ目のトンネルである。


 そのトンネルの前には、柔らかそうな白い肌の少年と少女が2人、ちょこんと座って大地を仰ぎ見ている。

 カールされた金色の髪を揺らした少年は、白く輝く羽衣をトーガのように体に巻きつけている。

 銀色の直毛をポニーテールにした少女は、黒と金に輝く羽衣を同じようにぐるぐると、体に巻きつけている。

 そっくりな顔つきをした二人は、大地を見ると目を輝かせながら立ち上がった。

「わーい! お兄ちゃんが来た!」

「わーい! お兄ちゃん、こんにちは!」

 二人はにこにこと挨拶をしながら、大地の周りをスキップしながら楽しげに駆け回った。

 大地はとても面食らった。

「あ、ああ…………。お前ら一体、どっから出てきたんだ?」

 大地が返事をすると、少年はにっこりと笑った。

「うーん…………どこだろぉ?」

 少女は大きな瞳を見開き、可愛らしく首をかしげた。

「うーん……、わかんなーい! お兄ちゃんはどこから出てきたの?」

「…………俺もよくわかんねぇ」

 表情豊かな二人だ。

 人間の年齢でいうと、3歳くらいに見える。

 それはいいとして。

 この子達は、泡の神の何なんだ?

 大地は騒がしい2人を見ているうちに、だんだん頭が痛くなってきた。

「ぼくたちねー、白と黒になって一緒にねー、ぐるぐる回ってたの。そしたらここに、はこばれてきたんだよ!」

「運ばれてきた?」

 どこから?

 大地は二人に、色々ツッコミたくてたまらなくなった。

「もしかしてお前らも、何も覚えてないのか…………?」

 少年と少女はこくこくと頷いた。

「うん! そうなの!」

「そのとおり!」

「……ハァ」

 大地はうなだれた。

 クスコといいこの少年少女といい、どうしてちゃんとした記憶が無いのだろう。

 なぜ状況を説明できないのだろう?

「お前らの名前は?」

「ぼく開陽(ミザール)のウタ!」

「わたし開陽(ミザール)のカタ! お兄ちゃんはだれ?」

「大地だ。自分たちの名前はちゃんと憶えてるんだな。ところで、開陽(ミザール)って何なんだ?」

「力のこと」

 男の子のウタが答えた。

 力?

 天璇(メラク)みたいなものか?

 口を開きかけた大地の袖を、女の子のカタがぐいっと引っ張った。

「わたしたちね、あの穴に入りたいの!」

 カタはもう片方の手で、たくさんあるトンネルのうちの、たった一つを指さした。

 黒と白でできている、新しく出現したトンネルだ。

「そうか」

 大地が頷くと、ウタは急に目を輝かせてこう言った。

「そうだ、一緒に来て! 大地」

「…………は??」

「一緒に入りたいの、大地と!」

「…………ちょ、ちょ待て、お前ら」

 少年と少女はぐいぐいと大地の腕を引っ張り、一番異質に見える『黒と白』でできたトンネルの中へと入り込んだ。

「……やべ、入っちまった」

 思ったより二人は力が強くて、足が速い。

 大地は前のめりになりながら、二人と共に黒と白のトンネルの奥へ奥へと、どんどん入っていった。


 白と黒が、チカチカと光る。


 トンネルを抜けるとそこは、岩時神社の境内だった。


 驚いたことに、一緒に入ったはずのウタとカタは、どこかへと消えてしまっていた。


 季節は冬で、うっすらと雪が積もっている。


 手水舎(ちょうずや)の前で、暖かそうなダッフルコートを羽織った紺野と結月が、何やら深刻な表情で喋っているのが見えた。

「また結月の過去か…………?」

 大地は、御神木である巨大な桜の木の後ろへと隠れた。

 それにしても、先ほどまで一緒だったウタとカタの姿はどこにも見えない。

『イギリスに引っ越す? 君が?』

 紺野は結月を見て、驚いた表情に変わった。

『うん。父の転勤で』

『…………じゃ、大学は』

『あっちの大学を受ける』

 結月は空を見上げた。

 ちらちらと、雪が舞い落ちて来る。

『委員長は知ってるの?』

 紺野に聞かれた結月は、静かに首を横に振った。

『さくらには言えない。ずっと私に気を遣うと思うし』

 紺野の口から、ため息に似た白い息が吐き出された。

『…………いつ行くの?』

『高校を卒業したらすぐ』

 結月の両目から、音を立てずに涙がこぼれた。

『私、行きたくない』

『…………』

『さくらやみんなと離れたくない』


 結月は小さく体を震わせた。


 大地には結月が、全身を使って何かを拒絶しているように見えた。