少しずつ、目が慣れてきた。

 人間の姿のまま大地は空を飛んでおり、眼下には岩時町の風景が広がっている。

 夕焼けの色が、雨上がりの地面にキラキラと映し出されていた。

 祭りが行われていない。

 季節も違う。

 散りかけの桜の花びらを、春の風が空へと舞い上がらせている。

 暖かな風が、頬の傷を撫でた。

 アーチ状の大きな虹の根元には、人間の子供たちが通う学校がある。

 ぐんぐん高度を落とし、大地は学校の中へと入り込んだ。

「……!!」

 小さな結月と、小さな凌太が向かい合って、互いの絵を描いている。

『お前、スッゲー暗い奴だな。……とりあえずなんか喋れよ』

 凌太はぶすっとした顔で画用紙に向かいながら、結月に文句を言っている。

『…………』

 凌太の絵を夢中で描いている結月は、それに返事をしないままだ。

『無視かよ!』

 凌太はぎろっと、結月と彼女が描いた絵を睨みつけた。

 その直後、目を丸くしている。

『これ…………本当に今、お前が描いたのか?』

 一瞬の出来事。

 結月の画用紙には、とびっきりの笑顔を見せた凌太が、生き生きと描かれている。

『これ、俺だろ? すげぇ! まるで生きてるみたいだ!』

 結月は笑った。

『もう一枚ある』

 凌太はもう一枚の絵も見せてもらい、歓声をあげた。

『ひょー! 上手いなお前! これ、俺がバスケしてるところ?』

 結月は少し笑顔になって、こくりと頷いた。

 その画用紙には、凌太が体育館でバスケットのゴールにシュートを決めている姿が、生き生きと描かれている。

『指、大丈夫?』

 テーピングした小さな凌太の人差し指を、小さな結月は指さした。

『あ、これか? バスケでやっちまった。まだショシンシャだからな、失敗ばっかりでよ』

 さっきまで怒っていたことも忘れ、小さな凌太はにぱっと笑った。
 
 二人の年齢は、10歳くらいに見える。

「ここは過去の世界なのか? どうして泡の神の体内で、子供の頃の結月と凌太が喋っているんだ」

 大地の頭の中で、ハテナマークが飛ぶ。

 9歳くらいの少女の姿をした泡の神ウタカタが、突然その空間に姿を現した。

「泡の神!」

 大地は息を飲んで、ウタカタを見た。

  手に握っていた絵筆を小さな結月が描いた絵に向け、ウタカタはくるんと回して振っている。

「にゃはははー! ゆじゅきちゃらんサイコ~!」 

 ろれつがまわらない状態である。

「なんだあいつ? 酔ってんのか?」

 呆れた大地がこう言うと、クスコがうーむと唸った。

「『光る魂』を食い過ぎたようじゃの。それでもまだ、結月の絵を狙っちょる」

「サイテーな奴だ」

 大地は泡の中で、ドラゴンに変身しようとした。

 だが、力は一瞬でかき消されてしまった。

 背中の翼の力はどんどん弱まり、大地の体は大きな虹色の、泡のような球体をした牢獄の中に、すっぽりと包み込まれてしまった。

「なんだこれ!!」

 大地は何とか泡の中から出ようともがいたが、叩いても蹴っても泡はびくともしない。

「どうなってんだ?」

「今のままでは、おぬしはドラゴンに変身できないようじゃの」

 ウタカタは小さな結月や小さな凌太を、自分の絵筆の中にどんどん吸い込んでいく。

「ああっ!!」

 二人はあっという間に、絵筆の中へと消えていった。

 ウタカタ自身は不規則にクルクルと、体を回転させている。

「う~ふふふふ~!」

 完全に酔っぱらっているようだ。

 ずっと見ていると、大地も気持ちが悪くなりそうになる。

「あいつ…………!」

 この世界は、一体どうなっているんだ!

 大地は目の前で起こった出来事を、信じられなくなった。

「さぁぁぁ、も~っと! 『ひかるたまし~』をちょうだ~い、ゆじゅきぃ~!!」

 ウタカタはまるで大地に気づいていない様子で、髪の色と目の色を目まぐるしく七色に変化させている。

「おい! ここから出せ!」

 どんなに動いても、何をしても、大地は泡の中から出られない。

 ドラゴンに変身しようとしても力が湧かないばかりか、背中に翼すら生えてこない。

 クスコが布袋から声を発した。

「大地よ、様子を見るのじゃ。泡はそう長くはもたぬ。すぐにはじける」
 
「…………!」

「ゆじゅきっの色は~…………不思議な色~…………」

 ウタカタは鳥のように飛び、歌いながら旋回し始めた。

「ゆじゅきの『ひかるたまし~』は~、とても、キレイ~」

 右腕を高く掲げ、手首をクルクル回しながら、ウタカタは持っている絵筆を振った。

 すると絵筆から光が飛び出し、七色に変化する分厚いリボンへと変わった。

 そのリボンは結月の絵の中にスルスルと入り込み、包み込むように絵の中の凌太を巻きつけた。

『おわっ!!』

 絵の中にいたはずの凌太は浮き上がり、リボンでぐるぐる巻きにされて飛び出した。

 ウタカタは微笑んだ。

 凌太は顔を真っ赤にしながら叫んだ。

『おい! 何しやがる!!』

「オマエも、いただきま~す!」


『ぐぬぬぬぬぬー!!!  うぉーーーー!!!』


 ウタカタにとって、予想外の出来事が起こった。


 ぶちっ!!!


 結月が描いた凌太が両腕に力を込め、力いっぱいリボンを引きちぎったのである。

「はぁ?!」

 ちぎられたリボンは、小さな泡になってはじけ飛んだ。

 信じられない! という表情でウタカタは唖然とした。

「え~っ? 嘘でしょ~!」

 よろよろと飛びながら、ウタカタはよどんだ目つきで凌太を睨んだ。

 絵から出た凌太の体は、青白く光っている。

「…………!」

 凌太は拳を振り上げ、力強くウタカタの顔を殴りつけた。

「ギャッ!!!」

 ウタカタは悲鳴を上げ、はるかかなたへと飛んで行った。

「凌太!」

 大地が叫ぶと同時に、青白く光った凌太はその場から消え去り、空間が大きくゆがんでいく。

「何だったんだ? 今の」


 ゴゴゴゴゴゴゴ!!!


 轟音が鳴り響く。


 学校が大きく歪んで動き、気づくと建物そのものが消滅している。

 閉じ込められていた泡がはじけ飛んだ瞬間、大地はドラゴンの姿に変身した。

「あいつ、絶対に許せねぇ」

 桃色の翼をはためかせ、ウタカタが飛んで行った西の方角に向かって、ぐんぐんと速度を上げ、一直線に飛翔していく。

 大地が飛び去った後は、桜の花びらが一斉に舞い上がった。