「わかった」

 凌太は、あっさり返事をした。

 フツヌシの願いを叶えてやりたくなったのである。

「けどよ、どこをどう壊せばいいんだ?」

 フツヌシにも、詳しい方法はさっぱりわからない。

 この場所から出るには、自分を縛り付けているものを、破壊してしまうしかない。

「とりあえず手当たり次第、その辺にある岩を叩いてみてくれ」

「でもあんた、また体とか頭が痛くなっちまうんじゃないか?」

 凌太は本能的に、フツヌシが死にそうなくらい弱っていることに気づいていた。

「どんなに痛くてもいい」

 想像するだけで脂汗をかきながら、フツヌシは歯を食いしばる。

 例え激痛だとしても死ぬ覚悟で、自分が犯した過ちと正面から向き合わなければ。

 彼の強い意志を感じた凌太は頷き、あたりを見回した。

「どっからいくかな」

 順番はかなり、大切な気がする。

 凌太が一番気になったのは四つの大きな、太鼓の形をした岩である。

 青い岩。

 黄色っぽい岩。

 赤黒い岩。

 白い岩だ。

 噴水が中央から吹き上げている青い岩をどうするかは、後回しにするとして……

「よし、この岩からいくか!」

 青い岩の隣にある、光を放ちそうなくらいの、すべすべした純白の岩。

 この岩に重要なヒントが隠れているように、思えてならない。

 地面に転がった赤い鉢を拾いあげて狙いを定め、凌太は思いっきり打ちつける。


 ドンッ!


「うおっ!」


 また気が遠くなりそうな激痛が、フツヌシを襲う。


 サーッ……。


 その瞬間、噴水が青い岩から勢いよく吹き上げ、フツヌシの頭や体を濡らしいく。

 すると全身に襲い来る激痛がどんどん和らぎ、消えてゆく。

「……あれ」

 まるで回復の術をかけてもらったかのようである。

 呼吸がとても楽になった。

「まただ。……痛くなくなった」

 フツヌシは、有難い気持ちでいっぱいになった。

 この場にいるのが自分だけだったら、一体どうなっていたことだろう。

 小さな凌太の存在が、とても頼もしく思える。

「良かったじゃねぇか」

 凌太はニヤリと笑う。

 岩時神楽の本番のごとく、彼は白い岩を太鼓に見立て、叩き始めた。

 笛の部分だけ、口笛で真似ながら。


 ドンッ!
 ドドン!! ドン!

 ドンドン、ドンドン!
 カンカン、カンカン!


「ヒューッ!」

  
 カンカン、カンカン!


 時が少し経過すると、壁面が大きな音を立てながら、崩れ始める。


 バラバラッ!


 バラバラッ!


「この太鼓みたいな岩のどれかを叩くと、壁が崩れるみたいだな?」

 凌太が白い岩を叩くたび、壁面から土埃が舞い、音が鳴る。


 バラバラバラバラッ!


 ガラガラ! 
 ガラガラッ!


 フツヌシは徐々に、大きな体を拘束していた壁面から分離し始めた。

 5分くらい経過すると、壁とフツヌシの体はすっかり別々になった。

 相変わらずフツヌシは巨大岩の状態で、仁王立ちしたまま動けないけれど。

「ん? なんだ? 壁の奥が空いてるぞ」

 フツヌシの大きさくらいの、空洞が出現している。

 凌太がその、ヒンヤリとした洞穴の奥に入ってみると……

 一人の女性が棺に似た長方形の岩の上に、横たわっていた。

「フツヌシ様! 穴の奥で女の人が寝ているぞ!」

「人?! 生きてるのか?」

「ああ。ちゃんと息をしてる!」

 洞穴の女性が誰なのか確認することが出来ず、動けないフツヌシはもどかしい。

「この人……紫の巾着を握ってる」

 凌太は女性の、胸の上で組んだ両手に注目した。

 巾着の中には何かが入っているらしく、少し膨らんでいる。

 凌太は女性を抱き上げ、フツヌシの前に連れて来てゆっくりと横たわらせた。

 彼女を見てフツヌシは、はっと気がついた。

「……!」

「この人を知ってるのか? フツヌシ様」

 目を閉じていながらも凛とした何かを感じさせる、美しい女性。

 フツヌシは彼女の、透き通るような銀色の髪色に見覚えがあった。

 真っ白でなめらかな肌に、引き締まった唇。

 細い体には白に銀の細工が施された、美しい装束を身に着けている。

「礼環《レーデ》様!」

 青い岩から、噴き出る噴水の水が勢いを増し、女性の体に降りかかる。

 途端、礼環《レーデ》にかかった術が解かれた。

「……」

 息を吹き返したように彼女はゆっくりと目を覚まし、あたりを見回す。

 不思議そうに凌太を見、それから巨体となったフツヌシを見上げた。

「フツヌシ?」

「……はい」

 礼環はいきなり、がばっと起き上がった。

「ここは……ああ、私、混乱しちゃう。落ち着いて。落ち着くのよ、私!」

 礼環は自分の頭を抱えながら、おろおろしている。

「おい、なんか知らんけどよ、あんた大丈夫なのか?」

「!!」

 礼環は目を見開いて凌太を凝視し、息が止まるくらい驚いている。

「……あなたの、名は?」

「凌太」

「凌太さん、は人間なの?」

「決まってんだろ? なんで、んなこと聞くんだよ」

 いきなり礼環から質問攻めに遭い、凌太は少し戸惑い気味に質問を返す。

「だって……ここは、フツヌシの『中』のはずよ。人間の魂が存在するはずが」

「魂?」

「これを見て」

 礼環は懐から、先端に丸い小さな鏡が付いた、細長くて白い杖を取り出した。

 持ち手の部分には美しい、黄金の鳳凰が彫られている。

 礼環は杖の先端で、小さな円を作った。

 その中に、遠い過去が映し出されている。











 礼環は勢い良く、空を飛んでいた。

 高天原の中心にある『桃螺《トウラ》』という名の、高い塔へ向かって。

 人間の世界で深名斗《ミナト》がこぼした黒い涙を10粒、処分しようとしていたのである。

 深名斗はフツヌシが作った温泉に入り、極上の光る魂を食し、感動の涙を流した。

 黒龍側・最強神の涙は、高天原の神々を操るパワーを持つ黒玉衡《クスアリオト》。

 内なる力を破壊し、心を奪って殺してゆく、侮蔑の力。

 黒くて無数の鋭い『憎しみの棘』が内蔵された、最も恐ろしい、呪いの珠。

 そんなものが10粒も、人間の世界で生み出されてしまっただなんて!

 礼環は苦々しく、羽ばたきながら叫んだ。

「こんなもの! 早く桃螺《トウラ》へ運んで、処分してしまいましょう!」

 礼環は深名孤様と、約束したのである。

 まわりの人々を大切にしながら、海玉様とフツヌシと、人間世界で一緒に暮らすことを。

 素晴らしい海玉様にお会いできて、一層確信を持てた。

 彼とならきっと助け合いながら、生き甲斐を持った楽しい毎日を過ごせるはず。

 深名孤様が側にいられない間だけは、小さなフツヌシを温かく見守ってあげたい。

 そのためには、こんなトラブルなど、すぐに対処してしまわなくては!

 そんな事を考えているうちに礼環は、高天原の桃螺へとたどり着いた。

 桃螺は神々が政務を行う場所であると同時に、最強神の住まいでもある。

 最強神の体から誕生した存在を、確実に浄化して消し去れる場所だ。

 それは当時、桃螺の地下に存在する、霊泉ブラデレードだけといわれていた。

 礼環は深名斗が落とした10粒の勾玉を残らず、運んだつもりだった。

 なのに。

 霊泉ブラデレードの受付に座っていた、ぼさぼさ頭の少年が自分を見上げている。

 10歳くらいの子供なのに、どうしてこんな大切な場所を任されているのだろう?

 服装もだらしなく、今すぐ受付業務を放り出したい様子がありありと見て取れた。

 後に彼が最強神の側近におさまり、光の神・遊子《ユウシ》になろうとは、礼環をはじめ誰にも予測ができなかった。



「9粒しかありませんけど?」


「──え?」


 もしかして、1粒落としてしまった?


 どこで?


 礼環は体中の血の気が引く思いだった。


 桃螺の、いや、高天原の中で落としたのだったら、まだいい。

 拾ったのが強い神ならば、死んでしまったりはしないだろう。

 でももし、人間世界で落とした場合は?

 すぐに戻って探さないと!

「もう一度、数えていいですか?」

「何度数えても、同じだと思いますけど」

 少年は明らかに落ち着かない様子で、しきりに貧乏ゆすりをしている。

「ひい、ふう、み……」

 指が震える。

「あなた数も数えられないんですか? なーにが10粒ですか? いくら数えたって9粒しか無いですー」

 癇に障る言い方である。

「え、でもあの」
「とりあえずこの9粒だけ、浄化霊泉に入れちゃいますね? もういいですね?」

「いえ! 困ります! あと1粒を探し出さないと!」

「僕は困りません。関係ありません。そんなの知りません!」

 確かにそれもそうでしょうけど。

 この子は自分の事以外、一切眼中に無いのだろうか?

「人間世界の、フツヌシのいる場所に、災いが起きてしまうかも知れないんです! お願いです、探すのを手伝ってもらえませんか?」

「僕、フツヌシ様なんて知らないもーん」

「知らないんですか? フツヌシ様とは最強神・深名孤《ミナコ》様の」
「……あ、あーーーっ!!!」

 遊子は今にも泣きそうな顔で叫んだ。

 彼の視線をたどった受付机の上には、ゲームが刺さった神石が置かれている。

「もうっ! あなたが来たせいで、ジェラちゃんとのデートイベントが台無しだ!」

 神石の中央からは、赤い光がピコピコと点滅している。

「デート……イベント?」

「知らないんですか?! 『神獣どぎまぎメモリアル3』の期間限定イベント『夏の日の君へ』ですよっっ! デートが成功しないと、ジェラちゃんがおかんむりで、SSR限定ジェラストーンがもう二度と、手に入らないんですっ!」

 おかんむり?

「僕はジェラちゃんを、1分1秒でも、待たせるわけにはいかなかったんです! ジェラちゃんに優しく笑いかけ、ジェラちゃんの服装を誉め称え、ジェラちゃんの魂を揺さぶる言葉をかけ続けなければ、僕は彼女を闇の中から永久に救えなくなるんだーーー!」

 とりあえずジェラちゃんは、かなり面倒臭い女の子のようである。

 礼環は心の中でそう思ったが、この時はぐっとこらえた。

 しかし、そんな我慢も長くは続かなかった。

「彼女の中にある『メンヘラリン』が増幅され、僕たちの仲を引き離そうと暴れちゃう! 『メンヘラリン』をなくすためには、SRストーンが大量に必要とされるんです! あなたが邪魔したせいですよ! 僕はあなたを許しません!」

 ぷちーん!

 礼環はキレた。

「なーにが『メンヘラリン』ですか! この世の終わりじゃあるまいし! 最強神・深名斗様の涙を誰かが食べようものなら、闇の心に支配されるだけでは済まなくなるんですよ! 誰かが命を落とす可能性だってあるんです! だから桃螺《トウラ》まで運んで、処分しようとしたんです!」

 礼環は遊子の胸倉をつかんで、強く揺さぶった。

「ゲームならもう一度、できる時にやればいいでしょうが!」

 子供なので、さすがの遊子も、礼環の剣幕に恐れをなして泣き出した。

「えーん! だって時間が、切れちゃうんだもん! 期間限定なんだもん!」

「時間なら戻して差し上げます! そのくらいできます! 私、時の神ですから!」

「ほんと?!」

「本当です。ですから、どうか今は、探すのを手伝ってください。艶々と光り輝く、C字形の美しい勾玉なんです!」

「わかった」

 遊子は急に泣くのをやめ、いそいそと杖を取り出し、術を唱えた。

 まばゆくて白い光が彼の周りをくるりと囲み、一点を差して降下していく。


「あ。もしかして、コレ? 黒い涙の勾玉」


 遊子の杖の先は、人間世界を指している。



 光の先をたどっていくと……



 黒い勾玉は、岩の神・フツヌシの腹の中にしっかりと、おさまっていた。