「そこまでだ。戻って来い、スズネ!」

 フツヌシは驚いた。

 この声の主は一体、何者なんだ?

 まるで魂そのものが発したような、誰かの大きな叫び声が、腹の底から轟いた。

 さっきまでの、何かに操られているような感覚とも全く違う。

 フツヌシの頭に、さらに激しい痛みとショックが走る。

 ――――ドンッ!

 これは、大太鼓の音?!

 痛い!!

 頭の側面と、肌の表面にあるゴツゴツが、痛みによって大きくなってゆく。

 やめてくれ!!

 まるで急所を固いもので殴られたような、抗えないほどの強さ。

 ドンッ!

 痛えっ!!

 大太鼓の音が一つ鳴るたびに、フツヌシの肌からゴツゴツした岩が飛び出す。

 ドドン!! ドン!

 飛び出した岩たちは次々に、岩時神社の土の中へと沈んでゆく。

 ドスンッ!
 ドスンッ!

 痛ええッ!!
 助けてくれ!!!

 祭りを楽しむ人間達は、この現象にまるで気づいていない。

 ドンドン、ドンドン!
 カンカン、カンカン!

 フツヌシの肌からまた、ゴツゴツとした岩が飛び出て来る。

 ドスン!
 ドスン!!
 ドスン!!!

 まるで新しい世界を構築するように、土の下に巨大岩が落下してゆく。

 激しい痛みでフツヌシが失神しかけた時、もう一度頭の中に凌太の姿が甦った。

 ヒューッ!
  
 カンカン、カンカン!

 脳内の凌太はヒーローの面を半分だけ被り、不敵な笑いを浮かべている。

 フツヌシの声を使って、凌太の魂が喋っているのだろうか?

「あら、フツヌシ様。どうされたのですか」

「――――話はあとだ!!」

 驚いたことにスズネはフツヌシの命令に大人しく従い、戦いから身を引いた。

「……わかりましたわ」

 大地と鳳凰の老婆は、戦う相手が急にどこかへいなくなって、拍子抜けしている。

 スズネはフツヌシがいる空の上まで、フラフラと飛んで来た。

 力の無い霊獣ごときに力を使い過ぎたのだろう、息が荒い。

「フツヌシ様、どうかされたのですか。全身が、ツルッツルになってますわよ!」

「ツルッツルだと?!」

「ご自分で、気づいていらっしゃらないの?」

「知らん! それより、お前に聞きたい事がある!」

 戦闘の直後で血がたぎっているらしく、スズネは大きな笑い声をあげた。

「おーほほほ! 珍しいですわね、フツヌシ様がワタクシに質問とは。あのタイミングでワタクシを呼び、桃色のドラゴンを庇った事と何か関係が?」

 庇うだと?

 バカバカしい!

 術が全く通用しない、桃色のドラゴンだぞ?

 だが考えてみれば……

 フツヌシが遠い過去、大地に攻撃出来なかった事を、スズネは知る由もない。

「お前の軽薄な行動に怒りが湧いただけだ。何故、人間に見られるような戦いを始めた?」

 スズネは一瞬目を見開き、それからまた大声で笑い出した。

「おーほほほ! おーほほほ! ワタクシが軽薄? なら、あなた様は何なのでしょう?! 重くて濃くて動けない、ただの岩ではありませんか!」

 散々フツヌシを貶した後、いい加減笑い疲れたスズネは、こう締めくくった。

「少し楽しくなってしまっただけですわ。もう少しで殺せそうでしたから」

 フツヌシは今すぐ、スズネを排除してしまいたい衝動に駆られた。

 自身の内側で蠢く巨大な力は依然として悲鳴を上げており、制御出来ない。

 本能的な勘が働く。

 この女ごときが、あの大地を殺す事は出来ない。

 破滅の道へ一直線だ。

「それよりフツヌシ様、この魂を見て下さいまし!」

 スズネが手を上げて、赤い爪を空中に放つ。

 赤い爪は二度、三度、フツヌシの前で回り出し、空気がグルグルと踊り出す。

 やがて赤い爪で囲われた空間に、ひとつの映像が映し出された。

 過去?

 いや、これは……

 どうやら少し未来の、この神社内にて起こる出来事を同時に映し出している。

 一つの映像は、神社の張り出し舞台の上。

 一人の少女がハッキリと映し出されている。

 薄茶色の瞳が凛とした輝きを放つ、青い浴衣を着た少女が、奇妙に湾曲した扇のような黒色の楽器を使い、キラキラした音色を奏でていた。

「聞いて下さいまし! この美しい音を」

 もう一つの映像は、先ほどの本殿の中。

 スズネは、紫色に輝く同じ少女の魂を、酒を嗜むかの如く美味そうに飲んでいる。

 フツヌシはこの残虐な光景を見た瞬間、何故だかオエッと吐きそうになった。

 凌太のよりも小ぶりだが、動くたびに美しい音色を発する、極上の光る魂。

 それをスズネの喉が音を上げて、ごくごくと飲み干している。

 美味そう……ではない?

 ……違う。

 全然、逆だ。

 気色悪い。

 スズネに対する強烈な嫌悪感が、憎悪にも似た気持ちが、悲鳴を上げる。

 フツヌシの体が内側から熱く、熱く、熱く、燃え上がってゆく────

「こちらの少女。律っていう名前ですの」

 あり得ない気持ちが次々と、衝動のように沸き上がる。

 律を助けたい。

 自由にしてやる。

 何としてもだ!

「律はワタクシと一緒に、今から螺旋状(ゼルシェイ)へ向かうんですのよ」

 螺旋城。

 話が核心へと迫る。

「あの城は生き物なので、よく動くものですから、普通の神には辿り着けませんの」

「なら、どうやって行くつもりだ?」

「あの城は『時の輪』で作られております。『時の輪』の仕組みを知っているワタクシには、簡単に場所を察知できますのよ」

 聞いてもいないのにぺらぺらと、重要な情報を良く喋ってくれるものだな。

 この馬鹿女は。

「螺旋城は岩時の地よりも歴史が深いので、岩時で採れるどの『光る魂』よりも素晴らしくて尊いものが、あの城には眠っているのですって! ワタクシ、律が放った音色で螺旋城に刺激を与え、『光る魂』よりも素晴らしい何かを、目覚めさせるつもりですの!」

 フツヌシには察しがついた。

 その存在こそ、魂の花なのだと。

「螺旋城はそれを、ひた隠しに隠していたらしいのです!」

 すっかり『光る魂よりも尊いもの』に囚われているスズネは、話しながら徐々に、興奮し始めた。

 しかし彼女はまだ、魂の花が最強神にまつわる物だという事を、知らないようだ。

 スズネは歌うように続けている。

「ワタクシ、『無限の力』を手に入れますの。思いのままに時を操り、全世界の馬鹿どもをこの手で、自由自在に操るのですわ!」


  ――――ギィィィンッ!!!


 おぞましい。


 支配の連鎖。


 お前のような奴がいるから、俺のような奴が生まれ、やがて真っ黒な闇に堕ちる。


 終わりはない。

 
 繰り返す。

 

『弱者を守れ』


 ――――ギィン!!


『見て見ぬふりする自分を許すな』


 ――――ギィン!!


『この地を守れ』


 ――――ギィン!!!!


 頭の側面の皮膚が痛い!

 猛烈に痛い!!

 誰か助けてくれ!!

 体の不調についていけず、術も唱えられず、声が出ないので助けを求められず……

 フツヌシは、ただ、のたうち回る。

「もしかしてフツヌシ様、ワタクシの邪魔をしたいのですか?」


『シャラン!』


 スズネは自身の右手を、クルミ型の鈴に変化させた。


 ────気をつけろ、来るぞ!


 スズネの体は、黒に近い赤の、(つる)を伸ばした巨大植物へ、グネグネと変化していった。


 ────術を使ってくる。躱せ!
 

 ドンッ!
 ドドン!! ドン!

 ゴウッ!

 ゴウッ!!

 ゴウッ!!!

 大太鼓の音が鳴り、フツヌシの意に反して、土の中から岩が飛び出してきた。


『シャラン!』


 スズネの蔓はフツヌシの岩攻撃を躱し、懐にしまってあった小さな紙を奪い取る。


「この紙は何です?」

 ドンドン、ドンドン!
 カンカン、カンカン!

 脳内にいた凌太が両腕を広げ、口を開けた。

「勝手に読むな!」

 ヒューッ!
  
 ガン! ガン!

 ガン! ガン!

 フツヌシの頭頂部から一斉に、激しい炎が飛び出て来た。

 炎は一直線にスズネに襲い掛かり、彼女の手元にある紙を焼き払った。

「フツヌシ様、何を隠されているのです?」

 視界が歪む。

 脳内では何故か、凌太が五十人以上おり、ひっきりなしに大太鼓を叩いている。

 音が激しく鳴るごとに、厚化粧を施したスズネの顔が、過去一番に醜く見える。

「ワタクシに隠しても無駄ですわよ。時間を元に戻せるのですもの」

 ────気のせいでは無い。

 凌太の魂に、頭の中が侵され始めている。

 フツヌシは地面から何十枚と巨大岩を出現させ、岩破弾を唱えた。

 ゴウッ!

 ゴウッ!

 ゴウッ!

 自分でも驚くほどのスピードで、先端を尖らせた岩たちがスズネを襲う。

 残念なことに、スズネはそれらの攻撃を全て、間一髪で躱してしまった。

「……お前を許さん!」

 螺旋城への行き方など聞くものか!

 魂の花の在処など、自分自身で突き止めて見せる。

 やがて苦痛のあまり、意識が朦朧としてくる。

 繰り返し、繰り返し、知らない感情があふれ出て来る。

 やめてくれ。

 幾筋もの光と闇が、グルグルと回り出す。

 涙が自然とあふれ出る。




 その時。




 フツヌシの頭上になめらかで薄い青色の、いびつな三角形の何かが、ヒラヒラ、ヒラヒラ、と飛んで来た。

 鋭い先端がフツヌシを目指し、徐々に勢いを増しながら一直線に降下を始める。

「あれは……天空時(トウロス)?!」

 フワフワと飛ぶ天空時の接近に驚き、スズネは素っ頓狂な声を上げた。

 そのかけらは、時の神しか持たない高度な術式である。

「フツヌシ様?!」

 もう間に合わない。

 天空時(トウロス)のかけらは背後から、フツヌシの固い頭頂部を刺し貫いた。


 ――――ザクッ!






 蘇る。



 蘇る。



 鮮やかに、記憶が蘇る。





 フツヌシは、スズネの前から姿を消した。