梅と久遠に会いたいと、星狩(ほしがり)という名の鳳凰がやって来た。

『久遠ちゃん、あの男よね! ほら、ホシガリの塔にいた…………』

『そのようだな』

 清名の言葉に久遠は頷く。

 相変わらず白猫姿のまま、久遠は今も弥生の腕に抱かれている。

 重大な用件をお伝えしに参りましたと言っていたが、その内容とは何なのだろう。

 人間達が鳳凰の梅や白猫の久遠を探し出すまでには、かなりの時間がかかった。

 町長は星狩に平伏しながら、わなわなと体を震わせている。

 大切な、娘の茜を生贄に捧げたというのに。

 筒女神の舞などをして、弥生が目立ち過ぎたせいだ!

 いい加減平和を取りもどし、安心して暮らしたい。

 もう神々との下らないやり取りを、終わりにしてしまいたい。

「今すぐ弥生を捧げれば、我らの命は許してもらえるのでしょうか」

「え」

 唐突に町長からこう言われ、星狩は面食らってしまう。

 さっさと元の世界へ帰ってもらいたいと、町長は全身で訴えているのだ。

「ご所望ならば引き渡します。あの娘の体と魂を」

 この男はもう、完全に頭が狂っているのだな、と星狩は思う。

 こちらはまだ、何も真意を打ち明けていないというのに。

 神職者たちは、今後弥生をどう扱うかについて、延々と話し合っていたのだろう。

 シャレにならないことに、白猫を抱いた弥生が星狩の前まで連れて来られた。

 大の男二人がかりで、両腕をがっしり捕みながら、罪人のように。

「この娘が弥生です。それと白猫をお探しでしたね。お好きにどうぞ」

 その瞬間、弥生の体がフラフラとよろめき、崩れるように地面へ倒れ込んだ。

 抱かれていた白猫は地面に降り立ち、シャーシャーと鳴き、喚き、怒っている。

『…………許さんっ!』

『あっ! 久遠ちゃんダメだよ!』

 がぶり!

 白猫は男達の足に、狂ったように噛みついた。

「ギャッ! 痛えっ!」

 噛まれた足からどくどくと血が流れ、二人の男は気を失い、ばたりと倒れた。

 不思議な出来事は次々と起こる。

 その光景を見ていた人間の一人が狐の姿に変化し、さっと弥生を隠したのである。

 弥生も白猫も急に、その場にいた人間の目の前から、どこかへといなくなった。

 星狩は思った。

 この町の人間は、信じられ無いほどのクズだ。

 せっかく体に筒女神を降臨させて、彼女が濁名を退治してくれたというのに、あんまりな話ではないか。

 町に平和が戻っても、弥生や彼女の両親の待遇が変わる事は無いのだろう。

 彼女はあくまでも神に捧げる『生贄』であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 一年かけて磨いた器は、この町のために、神に捧げるのが当然だと思っている。

 どんな風に凌辱され、犯されようが、殺されようが、生贄なのだから仕方が無い。

 そのために選ばれた娘なのだから、と。

 筒女神を受け入れた弥生は、岩時に住む人間の間で今もなお、軽んじられている。

 これでは報われない。

 弥生の両親を除いた岩時に住む人間達のほぼ全員が、彼女の死を望んでいる。

 自分達が生き残るために。

 しかもこの町長、自己保身以外あまり興味がない様子だ。

 もし。久遠のように真面目な白龍神が、正式にこの地を守っていたとしたら?

 こんな人間達の心根を彼は決して、黙認したりはしないだろう。


「何事です! 騒々しい」


 社務所の方角から颯爽と女性が出てきて、町長と星狩を交互に睨みつけた。

 鳳凰の梅だ。

「梅様! お久しぶりでございます! 星狩真広です」

「ああ。星狩様ですか! はるばるようこそ。本当に久しぶりですね」

 星狩は、ときめきの表情を抑えられない。

 憧れの梅様!

 今もなお、輝くばかりにお美しい!

 星狩は顔を真っ赤にしながら、白スモック姿の梅にぺこぺこ頭を下げている。

「梅様、大切なお話がございます」

「そうですか。さあ、こちらへ」

 梅はすぐに星狩を、社務所へと案内した。

「…………」

 人間達は言葉を失いながら星狩と梅を見つめていたが、やがて我に返った。

 とにかく、梅という女性が見つかって良かった!

 でもあんなに綺麗な女性、この小さな町にいたっけ?

 いや。あれほど堂々としていて背筋がピンと伸びた、立派な女性なのだ。

 彼女は長きにわたり、ずっとこの地にいた人なのだろう。

 人間達はまんまと、そう思わされてしまった。










 社務所の中で円いちゃぶ台をはさみ、梅は星狩に麦茶を出しながらこう尋ねた。

「大切なご用件とは?」

「筒女神の舞を披露された、弥生様に関する事です。彼女は今…………」

「本殿の中で休ませています」

 高熱を出して倒れたので。

「そうですか」

 きっとあの、狐をはじめとする霊獣達が本殿へ運んだのだろう。

「明日の舞台に向け、体調を整えさせなければなりません。今は医師の白蛇カナレが看ているはずです。私もすぐに弥生の元へ向かいます」

「では手短に」

 星狩はかいつまんで、天界での状況を説明した。

 最強神・深名斗が弥生の魂と体を食べたがっている件について。

 それと、時の神・爽が弥生を『龍宮城』で守ったら良いのでは無いかと、提案している件ついて。

 社務所に忍び込んだ白猫・久遠は、この話をすべて聞いていた。

 あの深名斗が?

 弥生を食べたがっている?!


 ────絶対に許さない。


 久遠は我を忘れ、激高した。

 最後まで話を聞くと、普段は冷静さを失わない梅まで、きつく口元を引き結んだ。

「許しがたいですね」

「…………いかがなさいますか」

 梅は、すぐ近くに白猫が歩み寄って来たのを見つめ、思わず苦笑してしまう。

「あ。久遠様、まだそのお姿だったのですか? いい加減元に戻って下さいよ!」

 何だと?!

 戻り方がわからないのだ!

 元はといえば、あのバグのせいではないか!

 梅には低姿勢のくせに、相変わらず星狩は、久遠に対して容赦ない。

 七支刀の中では霊獣達に説教出来たが、今はただニャーしか言えない。

 戻ったら覚えとけ。

 悪役の捨て台詞のような言葉を心の中で放つ久遠だが。

 微笑みを浮かべた梅に、いきなりフワッと抱き上げられてしまった。

「あっ!!」

 わっ!

 いい香りがする。

 さすがは…………いや、今はよそう。

「神だとは思っておりましたが。あなたは白龍様、だったのですね」

 星狩は「ずるいっ!」と叫ぶのをこらえ、羨ましそうな顔で久遠を睨んだ。

 猫だというだけで、どうして梅に抱いてもらえるのだろう。

 いいないいな。

「龍宮城に弥生を連れて行くことに、私は賛成です。久遠様はいかかでしょう」

「にゃー」

「反対ですか?」

「…………」

「賛成ですか」

「にゃっ!」

 梅は星狩に伝えた。

「久遠様は賛成のようです」

「…………は」

「明日の舞台が終わってから、でも良いですか?」

「もちろんです」

 梅の腕の中で、久遠もこくりと頷いた。

「ご無礼をお許しくださいませ、久遠様。さあ、弥生のもとへお連れします」












 弥生は目を覚まさない。

 カナレが看ている間、霊獣達は本殿の外から彼女の様子をかわるがわる覗き込んだ。

「心配だな…………」

 体力を消耗しているだけのようだが、見るからに死にそうな衰弱の仕方だ。

 筒女神を体に受け入れたのだ。普通の人間なら体や心が持たなかっただろう。

 慣れない出来事が続き、一気に高熱が上がったらしい。

 あの瞬間、最強だったのは、彼女だけではない。

 霊獣達も体に異変が起きている。

 皆が皆、今までとはケタ違いの、化け物並みの強さに変わった。

 体がとても軽い。

 どこへでも自由自在に、飛んで行ってしまえそうである。

 自分達の力を、筒女神によって最大まで引き出されたのだ。

 看病の手を止めず、カナレは呟いた。

「今でも信じられません。私が揺光(アルカイド)を放つなど」

 揺光は神の力。

 言葉にするのも恐ろしい。

 霊獣が、そう易々と持てるような力ではない。

「それにしても不思議です。アイト様以外の我々は、弥生の体では無く、七支刀を器に選べたのですから」

 もし風雅が七支刀を持って来てくれなかったとしたら。

 霊獣全員が、弥生の体に入っていたとしたら…………どうなっていたことか。

 七支刀の存在そのものが、弥生の体を守ってくれたのである。

風雅(フウガ)様。あの刀剣を運んできて下さり、本当にありがとうございます」

 カナレに礼を言われ、本殿の戸の外に立っていた風雅は、首を横に振った。

「いや。白猫が俺を導いてくれたんだ」

「そうですか…………」

 カナレは考えを巡らせた。

 あの白猫は七支刀の中に入って自分達を励まし、応援してくれた。

 一体何者なのだろう。

 それに筒女神は何故、あそこまで目立つ行動を取ったのだろう。

 まるで世界中の生きとし生ける者に、弥生の存在を見せつけるような動きをした。

 最強神の力を一瞬だったとしても、体内に宿して放ったのである。

 彼女が注目を浴びる事を、予想した上での行動だったのだろうか。

「七支刀の中であの白猫、喋ってた。僕らに説教してたんだよ?」

「悪い猫さんでは、無かったようですけどね」

「悪かないけど。口ばっかりのとんだエロ猫だ。あいつ、どこ行きやがった?」

「梅様と一緒なのでしょう。ほら、星狩様とお話をされているから。皆さん、本日はお疲れ様でした。明日に向けて、我々もきちんと体を休めましょう」

 カナレの言葉に、霊獣達は頷いた。






 その後。

 霊獣達は本殿の外で体を休め、交代しながら見張り番をしている。

 布団の中でうなされている弥生を、つきっきりでカナレが看病している。

「感激致しました…………人間世界で、筒女神様にお会いできるなど」

「今後はこの地を守る運命を持った白龍神にも、会えたようじゃのう」

「…………!」

 カナレは驚き、弥生を見た。


 彼女の視線が、静かにカナレを捉えている。


 弥生では無い。


 声の主はクスコだった。