「律。やっと、見つけた!」

 律は艶やかな純白のピアノと向き合っており、祝福の音色を奏でていた。

 この音楽こそ律が本当に表現したかったものなのだという事が、大地にはわかる。

 だから、涙が自然とあふれ出て来てしまう。

 体が内側から熱くなり、心の奥から力がどんどん沸き上がって来る。

 白髪になった大地だが、老人では無く、小さな少年に戻ったような心地がした。

 演奏を終えると律は、凛とした表情で顔を上げた。

 スウ王、マユランの兄や姉や弟のナユナン、螺旋城に住むすべての者達が笑顔で、律に向けてやまない拍手を贈っている。

 白い花が城の中で、優しい香りを放ちながら、満開に咲き誇っていた。

 律は大地に笑顔を向けた。

「大地……待ってたよ。助けに来てくれてありがとう」

「遅くなって悪かったな、リツ。なあ、お前の音…………」

 少し恥ずかしくなったが、大地は意を決して感想を述べた。

「気持ちが伝わってきて、感動した」

 律は嬉しそうに笑い、吹っ切れたようにスッと椅子から立ち上がった。

「ありがとう、大地。私がここで音楽を奏でる必要は、もう無くなったみたい」

 耳を澄ますと、もう一つの音楽が聞こえてくる。

「ね? …………聴こえてくるでしょ?」

 律の音とは違い、不安定でぎこちなく、明と暗を繰り返し、それでいて伝えたいことがはっきりと伝わって来る、真っ直ぐな音楽。

 今、ピアノを弾いているのは、律では無かった。

「…………マユラン?」

 13歳の少女が、ピアノを弾いている。

 大地が瞬きしている間に、この少女はピアノを習得したのだろうか?

 …………そういえばいつの間にか、瞬きをしてもあまり時が経過しなくなった。

 大地は内心、あのまま死んでしまわなくて済んだことに安堵した。

 その時、大地の腰に刺さっていた破魔矢がユラユラと空を飛び、突如空中に現れた鳥籠の中にいる、黒龍のもとへと飛んで行った。

 喜びをかみしめていた大地と律は、そのことに全く気づいていない。


 自身の首に深々と矢を突き刺し、黒龍は破魔矢の中にあった膨大な力を吸い取ってゆく。


 破魔矢から全ての力を吸い尽くした黒龍は、どんどん、どんどん、体の力を蘇らせてゆく。


 ついに黒龍は艶やかな黒髪の、美しい少年の姿へと変化した。


 大地と律は幸せのあまり、空中に浮かぶ鳥籠が粉々に破壊された事や、黒髪の少年がある行動を開始したことに気づいていない。


「大地。マユランは二人のお母さんを繋ごうとしてる。最後に彼女を助けてあげて」


「…………ああ」


 マユランが奏でるピアノの音が、段々大きくなってゆく。


 気づくと大地は、また白いドラゴンの姿になり、時空の狭間に放り出されていた。


 慌てて翼をはためかせ、体勢を立て直す。


 眼下を見ると、白と黒の螺旋城がグルグルと円を描き、追いかけ合いながら醜い戦いを繰り広げている。

 空から見下ろしている大地からは、まるでユナとユナが自分同士で戦っているだけに見えて、その姿が何だかとても滑稽に映る。

「ただの消耗戦に過ぎねぇのに。ユナは一体、何やってんだ?」

 二体の螺旋城は、どうすればいいのかわからなくて迷走を繰り広げているようにしか見えない。

 そこに、マユランが現れた。

 彼女は冷静に、二つの螺旋城に声をかける。


「これからどうするつもり?」


『悔しくて何も考えられない。死にたい。この城を粉々に壊したいわ』

 醜い螺旋城はこう答えた。


『悲しくて何も考えられない。でもこの城を守りたい。壊されたくないから、死ぬまで私は戦うわ』

 美しい螺旋城はこう答えた。


「どうして戦いを選ぶの?」


『憎しみが抑えられないからよ』

 醜い螺旋城は即答した。


『とても愛しているからよ』

 美しい螺旋城は即答した。


 グルグル、グルグル。


 二体の螺旋城が廻るスピードは、徐々に速くなってゆく。


『止まらないの!』

『止まらないのよ!』


 一旦戦いを始めてしまうと、どんなに自分をコントロールしようとしても無駄だ。

 炎の中に飛び込めば、自分を客観的に見つめ直す事が、出来なくなってしまう。

「……自分を止められないから暴走するんだわ。私なら止められるのに!」

 マユランは唐突に、頭の中で音楽を奏でるのをやめた。

 その途端、二体の螺旋城の戦いはピタリと止む。

 静けさの中、自分達だけが暴走していた事にようやく気づいて、急に恥ずかしくなったのだろうか。

 螺旋城は、人間の姿をした二体のユナへと変化した。

 黒い衣をまとうユナと、白い衣をまとうユナへ。

「お母様はお母様。どちらもご自分を止められないという事が、よくわかりました」

 マユランは、二体のユナを静かに見つめ、ため息をつきながらこう言った。

「……それでもまだ、時を管理していたいですか?」

 戦っていたはずの二体の螺旋城は、娘であるマユランにこう尋ねられて、恥じ入る様にシュンとして、すっかり大人しくなった。


 二体のユナは互いを見つめ、同時に首を横に振りながら、こう答えた。


『いいえ』


『いいえ』


 耳がツンとするような静寂が訪れたのち、二体のユナは同時に決意を口にした。


『『あなたにこの城を任せるわ。マユラン』』


 二体のユナは綺麗な螺旋を描きながら、白と黒の煉瓦石に分解され、調和のとれた一つの巨大な城を作り上げてゆく。
 
 
 そして、はっきりと白と黒に分かれたコントラストが印象的な、情緒あふれる大きくて美しい城が完成された。


 マユランは二体のユナの手を取り、二つの手を一つに重ね合わせた。


 すると二体のユナは歩み寄り、重なり合い、たった一人のユナになった。


 その時、マユランの手の中に小さな、黄金色に輝く懐中時計がころんと落ちた。


 懐中時計はユナが座っていた玉座よりも明朗な音で、時を奏でている。


 この時計で、新しい螺旋城を管理してもらいたい、という意味なのだろうか?


 マユランはぎゅっと、懐中時計を握りしめた。


 時間はまだ、始まったばかり。


 どう作り上げていきたいかは、じっくりと考えながら進めばいい。


 大地と律はいつしかまた、地下にある青い湖のほとりに着地しており、目の前にいるマユランとユナを見て、やれやれと安堵のため息をついた。


 結局ユナには、娘であるマユランの言葉が、一番効果があったという事だ。


「これでやっと……」


「……一安心、なのかな?」


 大地と律は顔を見合わせた。


 湖のほとりには、小さな白と黒の『魂の花』が同時に咲いている。


 この場所にはマユラン、ユナ、現代の王族が全て結集しているほか、白銀色のマントで包まれた装束を身にまとっている青年や、見知った一人の老婆が立っていた。

「────梅!」

「大地! ご無事で何よりです!」

 大地は震える腕で梅を抱きしめ、安堵のあまりまた、涙が溢れ出そうになった。

「良かった…………お前が無事で」

「……申し訳ございませんでした」

 何度も何度も謝る梅に、大地は笑った。

「梅、お前が間違えて俺を飛ばしてくれたおかげでようやく、律を助け出せそうだ」

 梅は微笑んだが、すぐにぴんと姿勢を正し、警戒するような声で大地に言った。

「それは良かったです、が……まだ深名斗様がいます。どうかお気を付けください」


 ────深名斗。


「そういえばあいつ、どこへ…………」


 カチッ!


 何かが重なり合ったような音がした途端、二つの魂の花は忽然と姿を消した。


「花が……無くなったわ!」


 マユランが驚きの声を上げた。


 響きと同時に、その場にいた全員の心に、大きな喪失感が襲ってくる。


「一体、花はどこへ……」


 すると花があった場所に、最強神・深名斗が姿を現した。


 少年の姿に変化した黒龍側の最強神は、嬉しそうに微笑んでいる。


「大地。この破魔矢に礼を言う。これで少しは力が復活しそうだからな」


「…………深名斗、てめぇ!」


 少年の姿をした深名斗は、白く輝く破魔矢を深々と、自分の首に突き刺している。


 破魔矢は深名斗の首を横に貫通させているため、そんな状態で死なずに笑いながら立っているのが、とても異様に見える。


 大地は深いショックを受けた。


「それ、俺が持っていた破魔矢なのか?」


「その通りだ」


 いつの間に、深名斗に抜き取られてしまったのだろう?


「この破魔矢には、深名孤の力がたくさん詰まっていた。おそらくお前を助けるために奴が、渾身の力を貯めておいたものだったのだろう」


「…………!」


「これのおかげで無事、魂の花を二つ同時に抜き取る事が出来たようだ。ははは!」


 深名斗の両手にはそれぞれ、白と黒二つの花が握られている。


「その花はお前だけのものでは無いぞ、深名斗。白い方の花は、深名孤に返せ」


 大地が後ろを振り向くと、白銀色のマント姿の男が深名斗を睨みつけている。


(ソウ)か。僕がお前の言う事を聞くとでも思ったか?」


 杖を抜き取ろうとした爽の横から、二体の霊獣が飛び出した。



 狼の体と鳳凰の翼を持つキメラと、小さくて俊敏な狛犬である。