「姉ちゃん、あのさ。」

ベランダで布団を干していると中2の弟から声をかけられた。

「おはよ。今日天気いいから布団干すよ。自分の分よろしくね。」

「わかった。」

あれ?いつもなら『めんどくせえ』とか言うのに、珍しく素直だな・・・そう思っていると、弟もベランダに出てきた。

「どうかしたの?」

「・・・あのさ、俺4月から受験生になるだろ。」

「そうだね。初めての受験だね。でも、変に構えることないと思うよ。毎日少しずつ・・・。」

積み上げていけばいいよ、と言おうとした私を弟が遮った。

「姉ちゃんに勉強教えてほしいんだ。」

「え・・・。」

思わぬ言葉に驚いて弟をじっと見てしまう。

「・・・俺の彼女1つ年上だけど・・・彼女が4月から入る高校に俺も来年入りたいんだよ。でも今の俺の成績じゃ全然届かねーから・・・悪いかよ。どーせ不純な動機だよ。」

弟はふてくされたように俯いた。

「・・・全然、不純じゃないよ。すごく、いいと思うよ。」

私がそう言うと弟は照れた様子で布団を留めている大きな洗濯ばさみをいじりながら口を開く。

「ま、恋愛では姉ちゃんに教わることは何もねーけどな。」

「何それ・・・その通りだけど。」

弟はこちらを見た。真剣な目だ。

「俺、本気だから。頼む。」

「わかった。一緒に頑張ろう。」

「おお。任せろよ、やってやるぜ。俺に不可能はない。」

弟はそう言うと意気揚々と部屋に戻って行った。私の身長を越しすっかり逞しくなっていたけれど、その背中を見ながら『かわいいな。』と思ってしまって、ふっ、と笑いがこぼれた。




卒業式の後に行った駅の近くの川沿いの公園を蒼大と並んで歩く。

「昨日本当にもったいなかったな・・・せっかく蒼大と一緒にいるのに寝ちゃうなんて。」

昨日目を覚まして飛び起きてひどく落ち込んだ。

「まだ言ってんの?」

「だって・・・。」

───すごくすごく幸せな時間だったのに。

「俺は得したけどな・・・寝顔、可愛かったし。」

蒼大は立ち止まって目を逸らして言う。

「え・・・。」

私も立ち止まった。私のこと『可愛い』って・・・。どうしよう、顔が熱くなってくる。生卵乗せたら目玉焼きが作れるかもしれない。

「こ、これからずっと一緒なんだから、いいだろ?来年も再来年も、また花見に行こう。」

照れた様子の彼に優しく抱き寄せられて言われた。

「・・・・・うん。」

嬉しいけれどすぐには頷けない。

「爽乃?」

「・・・ちょっと、というか、かなり不安・・・だって大学に入ったら、たくさん新しい出逢いがあるでしょ?きっと綺麗で可愛くて、素敵な女性(ひと)がたくさんいるよ。そしたら蒼大、私のことなんて飽きちゃうよ・・・。」

自分で言って落ち込み俯いてしまう。

「・・・それはお互い様だろ。爽乃、理系の学部だから男多いだろうし、白衣も似合いそうだし、絶対モテるよ。」

「そんなこと・・・蒼大こそ・・・。」

「俺の爽乃なのに。」

「・・・!?!?」

耳に入ってきた言葉に全身が震えた。

「な、何だよ・・・。」

自分の口から出た言葉に照れる彼を思わずじっと見つめてしまう。

「・・・あの・・・もう一回、言ってほしいな・・・。」

思いきって頼んでみる。

「えぇー・・・。」

「お願い!」

渋い顔をする彼に、両手を顔の前でパチンと合わせて軽く頭を下げてもう一度頼んでみる。

「そんな風に可愛くお願いしてくるの反則だし・・・あーもう、しょうがないな。」

蒼大は髪をぐしゃぐしゃすると、私を強く抱きしめて耳元で言った。

「爽乃は俺の、で、俺は爽乃の。これからどんなやつが出てきて爽乃のことを好きになっても、俺の方が爽乃のこと好きだから。絶対負けないから。それに俺は爽乃のことしか見えない。」

力強いその声は真っ直ぐに心に落ちてきた。

「・・・。」

───駄目だ。顔が熱過ぎて卵落としたら一瞬で焦げちゃう。

「今はこんなこと言うしか出来ないけど、俺のこと信じられるか?」

「うん。」

即答する。

───どうしよう・・・涙出てきちゃった。顔熱いからそのまま蒸発してくれないだろうか。

でも涙が水蒸気になる前に蒼大に顔を見られてしまった。

「爽乃ってだいぶ涙もろいよな・・・。」

そう言って指で涙をぬぐってくれる。ひんやりとした指の温度が熱い肌に心地良い。

「顔熱い・・・そんな綺麗な泣き顔見せるの俺限定にしろよ?」

顔に触れていない方の手で髪を優しく撫でてくれる。

しばらくそのままでいて涙が落ち着くと、蒼大の唇がゆっくりと私の唇に触れた。上下の唇の端から端まで短いキスを何度も繰り返す。

「『これは俺のです。』ってしつこく印鑑押しといた。」

「ふふっ。」

私が笑うと蒼大の瞳が熱量を増した気がした。

「知ってるか?俺、爽乃のその笑い方好きだから。そんな風に笑われたら、口の中にも俺のものだって印つけたくなる。」

「!?・・・ん・・・。」

昨日桜の花びらが口の中を巡った時よりももっともっと激しいキス。口の中で蒼大と触れあって、繋がって・・・。体の奥から感じたことのない快感が湧き上がってきてそんな自分が恥ずかしくなってくる。でもやめたくない・・・もっと・・・。

「キャン!」

その鳴き声に驚いて離れると足元で小さな犬がつぶらな瞳をうるうるさせてこちらを見ていた。リードの先では飼い主の若い女性が気まずそうな顔をしている。

「す、すすみません!」

女性は犬をサッと抱き上げると早足に去っていった。

「・・・ごめん、ここ犬の散歩コースなんだよな。」

蒼大はそう言って辺りを見回した。

「お、お母さんのお店、素敵なお店だったね。川も見られるし、おしゃれなのに懐かしい感じがしてすごく落ち着くし、ご飯も美味しかった。」

人目も気にせず夢中で触れ合ってしまったことにすっかり動揺してしまい、何か話題を、と思って、さっき行ってきた川沿いのノリコさん・・・蒼大のお母さんが働く喫茶店の話を出す。

「・・・値段的に俺達には高いけどな。」

「でも、大学生になってバイトしたらまた行きたいな・・・あ、あのお店でバイトさせてもらうっていう手も・・・。受かればだけど。ノリコさんと働けたら楽しいだろうな。」

穏やかでおしゃれな蒼大のお母さんはとても素敵で憧れの女性の一人となっていた。

「あの店なら、客はほとんど大人の女の人みたいだから安心だし、いいかもな。母さん、爽乃のことやたら気に入ってたしな。」

「え?そうなの?」

蒼大は『しまった。』という顔になった。

「蒼大?」

彼の顔を見つめて尋ねると渋々と口を開く。

「・・・祭りの日に『一緒に出店やった子、綺麗ですごくいい子だったでしょう?お母さん、あの子みたいな子にお嫁に来てほしいわ。』・・・って言ってた。」

蒼大は顔を見たことがないくらい真っ赤に染めていた。

「およめ・・・!?!?」

予想だにしない言葉に全身が驚く。どこもかしこもパニックだ。

「・・・そ、そうなった時には、俺が送ったあの手紙、読んでもいいから・・・そんな遠くない未来かもしれないし。」

最後がよく聞き取れなくて聞き返そうとすると、蒼大は私の手をぎゅっと握って歩き出した。



机の引き出しの中に封をしたまましまってある彼からの手紙を思い出す。何が書いてあるのかはわからない。でも私の宝物だ。あの手紙を読む時、きっと隣には蒼大がいて、こんな風に手を繋いでいるのだろう。

机の横の壁にはカレンダーが掛けられている。もうカレンダーをめくるのは怖くない。むしろ前より楽しみだ。
4月、5月、6月・・・これから新しい季節を大好きな人と一緒に過ごしていけるのだから。

私達の青春はまだ始まったばかりだ。