ついに今日がやって来た。約束したのは一昨日なのに今日まですごく長く感じた。

家族は朝早く出かけて行った。一応親には『今日友達が来るから。』と言っておいた。『友達』その響きに違和感を感じた。

待ち合わせは11時。もっと早くすれば良かったなと思う。そわそわして無意味に家の中を歩き回っているうちに時間が来てスーパーに向かった。

「おはよ。」

爽乃は先に来ていた。

「早いな。まだ20分前だよ。」

「・・・楽しみで早く来ちゃった。」

恥ずかしそうにそう言って俯く彼女を見て、まだ何も起こっていないのに『ああ、今日誘って良かったな。』としみじみと思った。




スーパーで少し買い物をし、家に到着する。爽乃は自転車、俺は徒歩だったので自転車を押しながら並んで歩いた。

「お邪魔します。」

彼女が玄関に上がってから体を斜めにして床に膝をつきスニーカーを揃える。今日の服装はライトグレーのパーカーがワンピースのようになった服で、裾とフードの内側にベージュの花模様のレースが施されていた。俺は今日はライトグレーとネイビーのパーカーで迷って汚れても目立たなそうなネイビーにしたので、ライトグレーにしたらよかった、なんて思ってしまった。心の中の自分がプッと吹き出すのが聞こえた気がした。

「じゃあ始めようか。」

調理台に材料を出して爽乃が切っていく。俺は生地を準備しなくてはならないのに、今日も彼女の横顔に見とれてしまった。その美しい横顔の引力は強力でつい引き寄せられそうになってしまい、心の中の自分が『今包丁使ってるから。』と待ったをかけるけれど、気持ちはどんどん募っていく。手を伸ばせばすぐに触れられる位置に彼女がいるのはいつもと同じなのだけど、今日はここに二人きりでいる。落ち着いてなどいられない。

俺の視線に熱がこもり過ぎてしまっていたのか、彼女がゆっくりこちらに顔を向けた。

「ん?」

首を傾げて聞いてくるのが可愛らしくて心臓が跳び跳ねる。

「あ、い、いや・・・えっ!?お好み焼きにトマト入れるのか!?」

慌てて彼女の顔から目を逸らし手元に目をやるとトマトを切っていたので驚く。

「違うよ。」

「じゃ、まさかたこ焼きに!?斬新だな。」

爽乃ってこう見えて大胆なんだな・・・と思っていると、彼女は少しためてから口を開いた。

「・・・今日やるのは粉もんバーティーだよね?」

「お、おお・・・。」

なんだろう。心なしか圧を増した彼女の後ろに『ゴゴゴ・・・』という文字が見える気がする。

「粉もんと言ったら、もんじゃを外すわけにはいかないでしょ。トマトチーズもんじゃやるよ。」

彼女は自分の目の前にもんじゃベラ2本を取り出すと、パッと交差させた。『シャキーン!』という効果音が聞こえたようだった。




お好み焼きもたこ焼きももんじゃ焼きもほとんどありあわせの材料だったが、こんなに美味しかっただろうか、と感動するくらいだった。爽乃と一緒に食べたからかもしれない。お好み焼きが少し余ったので爽乃が家に持ち帰ることになった。

「ふー、腹パンパンだな。今日夕飯いらないわ。」

「私、片付けるから座ってて。」

「いや、俺やるよ。俺んちだし。」

「蒼大の家だから私がやるの。お邪魔しちゃってるんだし。」

彼女はそう言って汚れた食器を集め始めた。

「いいって。」

思わず手を掴んでしまい、彼女が驚いた表情になる。

「・・・じゃ、マヨネーズとかソースとか片付けてくれる?勝手に冷蔵庫開けるのあれだし・・・ゴミは私がやるから・・・あと私お皿洗うからふいてしまってくれれば・・・私場所わからないし・・・って結構頼んじゃってるね。」

ふふっと柔らかく笑われ、羽で心を優しく撫でられたような気分になった。

「腹ごなしになるから二人でやろう。片付けまでがパーティーです。」

『家に帰るまてが遠足です。』みたいに言ってみると彼女がもう一度ふふっと笑って、その笑顔に心の中で何かのゲージが上がる音がする。このゲージが一番上までいってしまったら俺は一体どんな行動に出てしまうのか。


調味料とゴミを片付けて再びキッチンに並ぶ。食器を拭きながら腕まくりをした彼女が洗い物をしている様子をじっと見てしまう。長袖の季節だから、さっき材料を切っている時に初めて腕を見た。白くて細い腕。無駄のない動きで食器を洗う慣れた手つき。綺麗な指。

───そう、爽乃は全部が綺麗だ。顔も名前も心も全部。

彼女が最後の一枚の皿を洗い終わって俺に手渡そうとした瞬間、一瞬手が触れて突如ゲージが満タンになった。気づいたら俺は彼女の頬に口づけていた。

「ガシャーン!」

同時に、沈黙を切り裂くような音がした。皿が床に落ちて割れていた。

「ごめんなさい!」

爽乃が慌ててしゃがむ。

「怪我ないか!?」

彼女の両腕を掴む。

「ごめんね。割っちゃった。」

少し泣きそうな顔だ。

「いや、俺のせいだから。100均の皿だし気にするな。100均の皿って他の皿より割れなくないか?これだって10年以上使ってたから確実に元とったよ。」

「でも、使いやすそうなお皿だし・・・。」

「いいんだよ。母さん同じような皿ばっかたくさん買ってくるから食器棚ぎゅうぎゅうでさ。何枚か割るくらいがちょうどいいんだよ。俺片付けるから座ってて。」

「ううん、私が・・・。」

「いいから。」

俺が破片を拾っている間彼女は座らずにしゅんとした様子で立っていた。あんなことしない方がよかったのか?でも、とてもじゃないが自分をコントロールできる状態じゃなかった。




「後は掃除機に任せよう。ついでに掃除にもなるし。」

ハンディ掃除機で掃除した後ロボット掃除機のスイッチを入れて、リビングに行こうと彼女を促した。



「映画でも見る?」

ソファに間を開けて座り聞いてみた。

「うん。」

テレビをつけ動画サイトに移動する。

「どんなのが好き?」

「不思議で、感動するような話かな・・・でも、蒼大が観たいのでいいよ?普段見ないジャンルも見てみたいし。」

「・・・残念ながら、俺も同じような話が好きなんだよね。」

そう言うと爽乃は『そっか。』と言って小さく笑った。それが一気にゲージのレベルを上げ、俺は思わず彼女との距離を詰めてしまった。それに気づいた彼女は照れた様子で少し俯いた。

ひとつひとつの仕草を全てかわいいと思ってしまう。ずっと側にいて見ていたいと思う。俺はおかしいのかもしれない。

「これは?かなり昔のだけど。」

気を取り直して画面に目を移した。

「うん。面白そうだね。」

彼女の穏やかな声は耳に心地良い。なんだかもう映画なんてどうでもよかった。このままだとプラネタリウムの二の舞になってしまいそうだ。

映画を再生すると俺はすぐ彼女の手を握った。前回と同じように握手をするように。前回よりは落ち着いていられていると思う。




映画が終わった。

爽乃は涙を流していた。赤くなった目から頬に、流れ星のように美しい涙が流れた。その泣き顔があまりにも綺麗でもう一度触れたい衝動に駆られる。

───むしろ今度は頬じゃなくて・・・。

彼女の唇に目がいってしまい、心の中の自分が『や、でもさっきも皿割るくらい動揺してたしな。』とつぶやく。でもやはり衝動を抑えられず、俺は涙をぬぐおうとする彼女の手を押さえると、唇を避けてそのすぐ横のかろうじて頬と呼べる場所に口づけた。