両親と弟と一緒に玄関に並んで出迎える。

「そんな、大げさにしなくていいのに。」

兄貴は相変わらずの優しい笑顔で微笑んだ。

彼の隣には緊張した様子の女性が立っている。なんだか兄貴と似ているな、と思った。同じように眼鏡をかけているからだけでなく、とにかく真面目で優しそうな雰囲気で、兄貴と二人でペアになってひとつのオーラを放っている、というか、なんだか初めて会った気がしない人だった。左手薬指には指輪が光っていた。



皆でダイニングで食事をした。母さんが朝早くからはりきって作った料理は見た目も美しかったし全部美味くて、弟も興奮していつもよりたくさん食べていた。

俺より8歳年上の兄貴と彼女は会社の同期で、兄貴が新しい眼鏡を眼鏡屋に買いに行った時に彼女と偶然会って交際が始まったらしい。終始楽しそうにする兄貴の隣で彼女ははにかみながらも嬉しそうに微笑んでいた。



そろそろ頃合いかな、と俺が部屋に戻ると兄貴がやって来た。

「おお、蒼大。大学合格おめでとう。」

「ありがとう・・・てか、彼女、放っといていいのかよ。完全アウェイだろ。」

「いや、もうかなり打ち解けてたし、母さんと料理のこと楽しそうに話してて、俺がトイレに立ったのも気づいてなかったよ。」

兄貴はやれやれ・・・という様子で腰を下ろしたが、嬉しさが溢れ出ている。

「・・・良い人そうだな。兄貴とお似合いだよ。」

「だろ?」

兄貴は全くためらいなく、むしろ前のめり気味で嬉しそうに言った。照れることもなく素直に彼女への想いを示せることがすごいなと思った。兄貴が大人なのか、それともそれほど二人の愛が深いものなのか・・・俺が圧倒されていると兄貴がいそいそと口を開いた。

「実はプロポーズしたの今朝なんだ。今日ホワイトデーだろ?『そろそろ挨拶行かなくちゃな。』って今日お互いの実家に行くことだけは言ってあったけどな。先に彼女の実家行ったらすごく喜んでくれたよ。」

幸せそうに語る兄貴を見てこちらまで幸せな気持ちになってきた。結婚なんて俺には全然わからない別世界だけれど、兄貴と彼女はその世界の住人になるのだな、と思った。

「お前はそういう人・・・彼女とか好きな子いないのか?」

「え・・・。」

反射的に爽乃の顔が頭に浮かぶ。

「例え今いなくてもさ、あの大学入ったらモテそうだよな。本当、お前はすごいよ。塾にも行かずにあそこに受かるなんてさ。父さんと母さんもすごく喜んでたよ。『誇りに思う』ってこういう時に言うんだなって思ったよ、俺は。」

「・・・別に。通信教育はやってたし。俺は兄貴みたいにスポーツ出来ないし、勉強だったらやっただけ結果出るから。」

俺が勉強に熱中したのはサッカー部のエースだった兄貴にコンプレックスを抱いていたからという理由もあった。

「そこで努力できるのがすごいんだって・・・まあ、勉強のアドバイスは一切出来なかったけど、お前が大学入って気になる子出来て悩んだら相談に乗るよ。彼女にも女子の気持ち聞けるしさ。」

兄貴とは歳が離れているので、子供の頃から可愛がってくれて、運動神経の悪い俺に逆上がりや自転車の乗り方を教えてくれたし、友達との関係や進路で悩んだ時にも相談に乗ってもらっていた。

───兄貴に相談してみようか───。

あのクラゲの水槽の前で爽乃を抱きしめてしまってから、彼女の様子は明らかにおかしかった。平静を装おうとしていたけれど、買ったばかりのホットドッグの真ん中のウインナーを落として地面の栄養にしてしまったりしたし、とにかく俺と目を合わせてくれなかった。

きっと爽乃は俺に対して俺が彼女に対して抱いているような気持ちは持っていないんだろう。だからなんで抱きしめたのか聞いてきたのだと思う。俺はあの時とっさにそう判断して『深い意味はない。』なんて心にもないことを言ってしまった。

「・・・実はいるんだけどさ。」

「何!?どんな子だ?あ、わかった。中学の同級生のあの美人な子だろ?生徒会やってて、陶芸やってる。」

「違う。影山じゃないよ。陶芸やってるのは親だし。」

「そうか・・・じゃあ?」

兄貴が先を促すので爽乃のことをかいつまんで話した。卒業式の日と水族館で撮った写真も見せた。

「・・・まだ会って二週間だし、彼女は俺のことそういう風に見てないってわかってるけど、毎日彼女への気持ちが大きくなっていくんだ。」

床に座って静かに聞いていた兄貴はため息をついた。

「・・・お前、学校の勉強は最低限でいいから、女心の勉強に励んだ方がいいな。出会ってからの時間の長さなんて関係ないんだよ。この2枚の写真見るだけで、彼女もお前のこと意識してるのは明らかだ。緊張してるけど幸せそうな表情とか、この私服だってお前にかわいいって思ってほしかったんじゃないか?」

「・・・そう、なのか?」

「それなのにお前に『深い意味はない。』とか言われて、傷ついちゃったかもな。」

兄貴はそう言ってニヤリと笑った。

「じゃ、俺はそろそろ行くから。見送りはいらないよ。ホワイトデーなんだし、素直になれよ。」

兄貴が出ていってすぐに携帯を手に取った。文章でどう送ったらいいのかわからなくて電話にしたけれど繋がらなかった。

『都合いい時に電話して。』

そうメッセージを送った。



しばらく待ったものの返信がなく風呂に入ることにした。まさにカラスの行水という感じで急いで出ると携帯が光っていて、爽乃からの着信があった旨の通知があった。パンツ一丁のまますぐに発信をしたけれど、彼女が出ることはなかった。