「被害とかどうでもいいし、むしろ都合いい」
「ど、どうして?」
「うぜえのが寄ってこなくなんだろ」
渋面をつくる来栖くんの表情がいろいろと物語っている。
女の子に寄ってこられるの、嫌だったんだ…。「うぜえの」呼ばわりだし。
思い出してみると、教室に他のクラスの女の子が遠巻きに見にきてた時とか、歓迎してるようには見えなかったな。
でも「うぜえの」呼ばわりは辛辣すぎます。
この人、口が悪い。
口は悪いけど、こんな風にしゃべったりするなんて、意外だ。
きっと入学してから、この学校で彼の声を一日にこんなにたくさん聞いた人間は私が初なんじゃないだろうか。
一言二言しか聞いたことなかったけど、こうして聞いてると普通の男子高校生みたい……って来栖くんは本当に普通の高校生なんだけど。
今までは、この人がこんなふうに喋ることって、もはや都市伝説みたいになってた。
ぶっきらぼうだし、無愛想な返事しかしない、どうしても冷たいイメージだったけど…。
でも、なんだろう?
今話してる来栖くんは冷たく感じない。
表情だけみたら不機嫌なんだけど、隣にいても拒絶されている感じはしない。
ぽつぽつと返ってくる言葉を聞いてると、来栖くんの声って聞きやすいな、なんて思ったりしてしまう。
「…………なんなんだよ、さっきから」
「へ?」
「え、じゃねぇ。おまえ、人の顔見んの、趣味なの?」
はっと我にかえると、来栖くんが私をじとっと睨んでいる。
あ、私また見すぎてた!?
「ち、違う! そういうわけじゃなくて、意外だなって思って」
「ぁ?」
「来栖くんがこんなに話してること。今までろくに声も聞いたことなかったのに、こんなに話してるのが新鮮で…」
私が答えると、来栖くんは興味もなさそうに「そんなことかよ」とぼやいた。
全然そんなことじゃないよ…。
私に限ったことじゃなく、このクラス…ううん、下手したら学校中の人間にとっても大事件だよ、これ!
『あの来栖礼央が喋った!』の見出しで号外の新聞が出たら、この学校の人なら取る、絶対。
もしかして、慣れさえすれば、来栖くんとは普通に話はできるんじゃないかな?
さっきまであんなにびくびくしていたくせに、もう怖さなどどこかにいってしまっていた。
来栖くんがこんなふうに会話したり喋ったりする人だって知ったら、クラスのみんなともうちとけられるのかもーーー。
私は頭の中で、彼が満面の笑みを思い浮かべ、クラスメイトと楽し気に話している光景を想像してみた。そしてちょっと笑う。
全然イメージできないだけにシュールだった…。
つい、ふっと息を漏らして笑うと、急に視界に来栖くんの顔が入り込んだ。
「…おい」
「!」
息が止まる。
すぐそばに迫った来栖くんの顔。
意識しないようにしていた彼の綺麗な顔が、油断していた私の心臓を跳ね上げた。
金色の髪の奥からのぞく黒い瞳。床から反射した夕日が目元を照らし、今だけ透き通った茶色に見えた。
明らかにその顔は「なに笑ってんだよ」といったように不満げだった。
考えるより早く、私は顔を逸らしてしまう。
やってしまってから後悔した。
い、今の感じ悪かったよね! どうしよう、不快にさせたかな…?
こんな近くで男の子と面と向かったことなんてなかったせいで、きっと私の顔は赤くなりかけていたと思う。
夕日のせい、なんて言い訳、きっとすぐにばれてしまう。
恥ずかしくて、隠すように俯いた。
頭上で彼が小さく息を吐くのが聞こえ、ふっと気配が離れていく。
来栖くんは、そのまますたすたと自分の席に戻っていってしまった。
ほっとしたような、少し残念なような。
謝るために声をかけようか迷うが、なんと言っていいかもわからない。
来栖くんがわけていたプリントは、しっかり整えられて机に置かれていた。
私は自分のプリントを慌てて片づけ、来栖くんのと合わせて先生に言われた通り机に置いた。
壁にかかっている時計を確認すれば、もう17時40分。もうすぐ18時だ。
帰ろうかな…。でも今日先生に教えてもらったところの復習してないや。
せめてそれを終わらせてから帰りたい。
迷った後、自分も席に戻り教科書を広げた。
後ろの方で椅子を引くのが聞こえる。
「―――帰んねーのかよ」
「!」
振り返ると、来栖くんはスクールバッグを肩にかけ、ポケットに手を突っ込んだまま立っている。
「う、うん。私、ちょっとテスト勉強してから帰るね」
「…あっそ」
素っ気なくそう言って、こちらを振り返ることなく来栖くんは教室をでていった。
しばらく足音が遠ざかるのを聞き、後ろを振り向いたままの姿勢でしばらく放心状態になる。
なんだったんだろう、今日は……。
まさか来栖くんと話すことになるなんて思わなかった。
やっと緊張状態から解放されて、どっと全身の力が抜ける。
教科書の文を目で追う。
だけど、文字はなにひとつ頭に入ってこなかった。