「昨日もそうだったけどさ、聞けば聞くほどイメージと違うんだよね、来栖礼央。あいつが人と話してる時点で異常なのに、蒼佳と一緒に勉強したって? まじで信じられない。蒼佳と馬が合うってのがなおさら意外」

「馬が合うっていうのかな…。きっと、話せてるのは来栖くんのおかげだと思うんだ」


私だって雅ちゃんと同じで、話す前のイメージはいいものではなかった。


口を一切きかない人だと思っていたけど、じつは話そうと思えば話せる人で、冷たくて無愛想な人だと思ったら、意外に優しいところもあって。


なんていうか、今まで機械的な冷たい印象だったのが、ちゃんとした人間味をもつようになった感じ。


「ヒントくらい出してやる」と言った来栖くんの横顔を思い出すと、今でもくすっと笑ってしまいそうになる。あの言葉、すごく嬉しかったなぁ。


あの時、きっと私が気落ちしていたことに気づいて、彼なりに気遣ってくれたんだろう。


勉強している時の大半は「アメとムチ」ならぬ「ムチとムチ」みたいな感じだったけど、私が問題に正解したのをみたとき、少しだけ笑ってくれていたように見えた。


そんな些細な来栖くんの表情に、ばかみたいにはしゃいでいる私がいる。


普段笑わない人が少しだけ笑顔を見せてくれると妙に嬉しい。それが自分に対して向けられた笑みなら、なおさら。


「……来栖くんってね、喋らないし、いつも怒った顔してるからわかりにくいだけで、きっとみんなが抱いてるイメージほど冷たい人じゃないんだよ。本当はもっと、優しいんだと思うな」

「へえ…。優しい、ねえ…」


ふと、雅ちゃんが相づちが意味深なトーンを含んでいるのを感じ、私は彼女を見上げた。


自分の机に腰を付けて腕を組み、何かを考えるように目を閉じている。


雅ちゃんが目を閉じて何かを考えるときは、たいてい何か大事なことを思い出している時だ。


私が言ったことで、何か引っかかることがあったのかな? 会話を振り返ってみるけれど、自分ではわからない。


やがて雅ちゃんは目を開け、やや真剣な面持ちになって私を見る。


「あのさ蒼佳、あんたに釘を刺すようで悪いと思うんだけど…ちょっと思い出したことがあって」

「? うん。大丈夫。なに?」

「来栖…あいつって確か、”そっち寄り”の人間と関係してるんじゃなかった? 今更だけど、あんま肩入れしすぎると、ちょっと心配になる」


“そっち寄り”?


明確な言い方をしない雅ちゃんに違和感を覚える。


どういう意味? 釘を刺すって、私に言いにくいことってこと?


無意識に問うような視線を向ける。雅ちゃんは一瞬迷うな目を伏せた後、自分の親指を右の頬へもっていく。そしてそこにバツを書くような仕草をした。


そっち系(ヤクザ)ってこと」


………………………。


…………………。


………ヤクザ?


「そうなの?」


ぽかっと口を半開きにしてしまう私に、雅ちゃんは真剣だった顔から毒が抜けたように呆れ顔になった。


「そうなのって……、ちゃんと聞いてた? ヤクザ(・・・)だよ? そんなの知らないとかお嬢様みたいなこと言わないでしょうね」

「し、知ってるよ、大丈夫っ! あれだよね、映画とかで時々出てくる黒いサングラスかけて体がガッチリしてて、拳銃とかもってる人たちのことでしょ? ジュラルミンケースにたんまり入ったお金を押収して去っていくみたいな」

「うわ、なにその安易なイメージ……。まあいいわ、一応はそういう方向であってるから。そういうイメージもってるんなら、ヤクザって聞いたらフツー怖がったり嫌悪感持つでしょうよ。なんでそんな平然としてんの?」

「それは…なんでだろう…? 正直、私には無縁のワードすぎて全く現実味がないといいますか…」


雅ちゃんが手を組み足を組み、きりっとした目が怒ったようにつり上がりはじめているのを見て、私はいたたまれなく首をすぼめた。


ヤクザなんて、映画とか漫画とかフィクションの中のものしか浮かばないし、フィクションでさえ私はヤクザものなんてろくに見たことがないレベルだ。当然ながら本物も見たことはない。


私なんかには縁遠い存在。非日常的にも程があるワードだ。もはやファンタジーも同然。


…のはずなんだけど、どうしていきなりそんな言葉が出てきちゃったんだ?


私の内心を知ってか知らずか、雅ちゃんは疲れたように深いため息をついた。


「…あたしね、前に来栖がヤクザっぽい奴らと話してんの、見たことあったんだよ」

「…え……!」


思わず息をのむ。


来栖くんが?


「あたしも昨日まですっかり忘れてたんだけど、蒼佳が来栖の話をし始めてから思い出したの」

「み、見たって、いつ? どこで?」

「4月の中旬頃かな。近くの繁華街の方でさ。結構夜遅かったし見間違いかとも思ったんだけど、金髪だったし、あいつ目立つ顔してるから本人だったと思う」


繁華街の方…というと、この高校からそう離れてもいない場所にあるネオン街のことだろう。


あそこは夜にこそ盛んに人が出入りする眠らない街。


昼間は一般的な商店街だけど、夜はクラブやバーが開店して、がらりと「大人の世界」に変貌する。


私はお母さんと一度買い物に行ったきりで、ほとんど通ったことがない。家から遠いという理由もあるけど、なによりお母さんと行った時が夜だったせいで、通りを歩く人たちは酔っぱらいやキャッチの男性が多かった。


怖い経験は何もなかったけど、一瞬で自分には場違いなことを悟ったのだ。


あんなところ、私には行く勇気はない。昼間でも夜の雰囲気の余韻がある気さえして、自然と足が遠ざかる。


ましてや1人で歩くなんてーーー、


「って雅ちゃん、そんな夜遅くに繁華街にいたの? 危なくない!?」


危うくスルーしかけたけど、夜遅くだというのにあのごちゃごちゃした繁華街に1人でいたような口ぶりだ。


「ちょっと買い出しで通ったんだよ。あの繁華街、うちの近所だし」


雅ちゃんはなんでもないことのように肩をすくめるだけ。


なんだか頭を抱えたくなった。


「そうはいったって、あそこは危ないってば…! 女の子一人で歩いていたら襲われたり拐われたりするかもしれないんだよ!」


こういうケースで心配されるのはいつも私の方なのがお決まりだけど、雅ちゃんも案外自分への扱いが雑なとこがあるなぁ!


雅ちゃんほど美人なら絶対に的にされちゃうのに、もっと自分が女の子として魅力的なことを自覚してほしい…!!


「あのときはたまたまだったんだって。頻繁にあの場所通るわけじゃないから…」

「とにかく約束! 1人は禁物!」


私がそう言い切ると、彼女は組んでいた腕をといて私の圧におされたように身を引かせた。


戸惑った顔をしているところをみると、私にそこを咎められるとは思ってなかったらしい。


「…わかったよ。肝に銘じておく」

「ほんとのほんとね?」

「ほんとだよ」


私は安心して座りなおすと、雅ちゃんは目を細めてくすっと笑った。


もう……笑い事じゃないのになぁ。


「―――それで話戻すけど、蒼佳、ほんとに何とも思わないの? 来栖がただの不良じゃなくて、ヤクザと関係してるような人間かもしれないって言ってんだよ?」


私は俯いた。


来栖くんがヤクザと関係してる。あの来栖くんが。


「………そりゃあ、何とも思わないわけじゃない。びっくりはしてる。ただ実感が湧かなくて…来栖くんがヤクザと関係してるなんて言われても、いまいちイメージできないっていうか」

「イメージできないったってあんた、やばい奴らだってことくらいわかってるでしょ?」

「うん…でもその、雅ちゃんが見たことを否定するんじゃないんだけど、黒服の人って本当にヤクザだった? ただの強面のお兄さんだったって可能性もあるんじゃないかな…?」


雅ちゃんは顎に手を当てて、指先で頰を軽く叩く。


「まぁ…可能性はあるかもね。でもあたしが見た感じだと、話してた相手の顔つきとか雰囲気は一般人にしては物騒だったし、ゴロツキってレベルにも見えなかった。あのナリで企業のサラリーマンとか言われても、あたしは信じるのは無理だね」

「なら、その男の人に来栖くんが脅されてる…とかは? 借金の取り立てみたいな。関わらざるをえない事情があるのかも」

「それもないとは言いきれないけど…あいつが? どっちかっていうと来栖は脅されるってより脅す側の方が似合ってると思うんだけど」

「…………」


きっぱり否定できないのが切ない。


確かに来栖くんの人を威圧するあの表情や雰囲気は強烈だ。たとえ相手がヤクザでも容易に通用してしまうかも…。


それにヤクザにお金を借りるしかないほど大きな借金があるなら、学校なんて来れてないよね。


なら、どうしてそんな人と来栖くんが話してたのか…。


考えられる可能性は必然的に絞られてくる。


来栖くんが、そういう人たち(・・・・・・・)と知り合っているような人間だからということだ。


ほんとに?


なにかの間違いなんじゃないのかな。


そうせざるを得ない理由があるとしか……。