「おはよう、大樹さん」

井戸で顔を洗っていると背中にやわらかな声をかけてくる。
昨日、あれからどうなったのか…僕は誰に確かめるわけもなく寝入ってしまっていたんだ。

「昨日」

「…うん、わたしーー」

なにかを言いかけた視線の先に彼の姿を見つけた彼女は黙ってしまった。

「……」

後ずさる美桜に彼は「おはよう」と目も合わさないで挨拶をして「それ、もう良いか」と言って僕の前にある桶を引き寄せた。



「美桜殿」

「……」

びくんとして顔をあげる彼女にやっぱり顔を合わせることなく続けてた。

「私は生涯、ひとりしか愛せません」

彼は言うだけ言い放して行ってしまった。彼女は僕の視線に気づくと背中を向けて一度だけ咳をして台所の方に駆けて行った。

その日の午後、部屋を除くと彼がいなかった。

「京ノ介は?いないみたいだけど」

「櫻繧寺(おううんじ)だよ。……行くなよ、あいつにとってーーあっ……」

仕事の手を休めて隆之介が顔をあげたときには既に大樹の姿はなかった。

「……ったく、話を聞かねぇとこは誰かに親子みてぇに似やがる」



ーー 櫻繧寺 ーー

ばあちゃん家の近くにある閑古鳥が鳴いてる古い寺だ。
確か、尼寺で跡絶えたとか言う噂。

……やっぱり、あの家は母屋だったんじゃ……。



カタンッ……カタンカタンッ…………

「…また、来ちまった」

水を汲んだ桶をそっと地面に降ろす。
風が強い。塔婆がゆれていた。
京ノ介は花を手向けた。

「美雪(みゆき)…」




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………………………