彼が湯気の立つマグカップを持ってこちらにやってくる。

「よかったらどうぞ」

決して嫌味っぽくない言い方で彼はソファーのサイドテーブルにコーヒーが入ったカップを置いた。

「ありがとうございます」

私は毛布をたたみソファーの背にかけると、マグカップを手に取り彼の方に顔を向ける。

ダイニングテーブルの椅子に座った彼は、コーヒーを一口飲むと言った。

「咲さんは、一時間ほど前に無事元気な男の子を生んだらしい」

「そうなんですね」

さっき誰かと話しているような気配がしたけれど、渡辺さんからの電話だったのだろう。

時計を見ると、今午前七時。ということは午前六時頃に生まれたのね。

陣痛が始まってからもうすぐ半日を迎えようとしている。咲さん、大変だったんだろうな。

それなのに私は気を失うように寝てしまっていただなんて。

「咲さんはそのまま病院で、渡辺だけ今から家に戻ってくるそうだ。帰ってきたら、俺も商談の予定があるからすぐにブリュッセルに戻る。お前も商談に付き合え」

商談に?

「私も同行してよろしいんでしょうか?」

「昨晩は俺も言い過ぎた。今日から仕切り直しということで」

「っていうことは、私の態度如何で取材も前向きに考えて下さるってことでしょうか?」

彼はそれには何も答えず口元を緩めただけだった。

とにかく、ふりだしに戻ったってことだけど、もう一度チャンスがあるってことだよね。

今度こそ、なんとしても彼に私という人間を信用してもらわなくちゃ。

マグカップをテーブルに置くと、ソファの横に立ち彼に深々と頭を下げ言った。

「これからは社長にご迷惑かけないようにします。もう一度チャンスを下さってありがとうございます!」

「迷惑かけないようにする、か。半分にして聞いておく」

半分ですか。

相変わらずな返答に苦笑しながら顔を上げると、優しく微笑みこちらを見つめている彼と目が合い胸の真ん中がドクンと跳ねる。