諦めて家に戻ってくると、村の人たちも起きて朝ご飯の支度をしている。
微かな焼き魚の匂い。最後に食べたのはいつだろう。
私は、3歳の頃唯一の肉親である母親が西南戦争で怪我をした士族の看病に当たっていたが、その後行方が分かっていない。そのため、山奥に住んでいるおばあさんに育ててもらった。
その頃に家事を教えてもらった。とても幸せだった。でも、その幸せも長くは続かなかった。
私が7歳の時、おばあさんが伝染病にかかり、亡くなった。気付くのが早く、私はかからなかった。それからは、こうして一人で暮らしている。ご飯は、雑穀米少しと、自分で採った山菜。お正月だけ、おまけでもらったうどんを食べる。服は7歳の時から買い換えてない。自分の大きさに合わせてたびたび縫い直している。そんな生活にも慣れてきていた。
微かな焼き魚の匂い。最後に食べたのはいつだろう。
私は、3歳の頃唯一の肉親である母親が西南戦争で怪我をした士族の看病に当たっていたが、その後行方が分かっていない。そのため、山奥に住んでいるおばあさんに育ててもらった。
その頃に家事を教えてもらった。とても幸せだった。でも、その幸せも長くは続かなかった。
私が7歳の時、おばあさんが伝染病にかかり、亡くなった。気付くのが早く、私はかからなかった。それからは、こうして一人で暮らしている。ご飯は、雑穀米少しと、自分で採った山菜。お正月だけ、おまけでもらったうどんを食べる。服は7歳の時から買い換えてない。自分の大きさに合わせてたびたび縫い直している。そんな生活にも慣れてきていた。
