私は今日、この朝、自主練をしに来た。

私はみんなと違って初心者だから。
才能がないから。
人一倍練習しなければ追いつけない。

仮入部から一週間。

一年生が入部届を出せるようになって、昨日、早速出してきたところだ。

部室には誰もいなかった。

ドアがきしきしと言いながらゆっくりと閉じていく。

バタン。

ドアが完全に閉まると、さっきまで聞こえていた生徒たちのお喋り声も、生徒会と先生の挨拶も、風や鳥の自然の音も。
全てシャットダウンされて、自分だけがどこか別の世界にいるようだった。

早速奥の練習室に入るが、まず何をしていいのか分からない。

歌は楽器ではないし、練習の仕方だって、調べたところで正解も出てこない。

ぼーっと立ってるだけでは、せっかくの早起きが無駄なのでとりあえず楽譜を手に取ってみた。

今までの先輩方が必死に練習したんだろう、

楽譜は破れて折れて擦れて。

でも、それには新品の楽譜よりしっかりとした重みがあった。


ガチャ。

静まり返っていた部屋にいきなり音がして
思わずびくっとしてしまった。

「あれ、花野さん、何でここに?」

突然の鮎川先輩登場でとっさに喋ることが出来ない。

「あ、えーと、あの、その、…。」

モゴモゴと焦る私に

「大丈夫大丈夫。落ち着いて。」

と先輩は、ははっと笑った。

その笑顔に私はしばらく釘付けにされていた。

何でこんなに眩しいんだろう…。

よく分からないけど胸が熱くなっていくような気がした。

「どうしたの?」

私の視線に戸惑ったようだった。

「あ、すみません。私、昨日、入部届け出してきたんです。改めましてよろしくお願いします。」

「お、そうなんだ!早いね!こちらこそよろしく。」

また先輩はにこっと笑う。

それをできるだけ見ないようにして私は続ける。

「それで、私、初心者だし、才能もないので、ちょっとでも、迷惑を掛けないように自主練しようと思って。家じゃうるさくてできないし、部室が空いてればいいなって来たんです。でも、部長の
許可も取らず…すみません。」

「偉いね!」

先輩は面白そうに私を見て言う。そしてまた笑う。

ちらっと先輩の方を見る。

また私は胸が熱くなるのを感じた。

「いや、それほどでも…。」

「花野さんさ、きっと真面目なんだね。良い事だけど。まぁ焦らず頑張ろうよ。自主練ね、来てくれて嬉しかった。

俺も、実は毎朝自主練してるんだよ。今度からも来なよ。朝の部室と放課後の部室じゃ、ちょっと雰囲気違うし面白いよ。」

「はい!来ます!」

私は反射的に答えてしまった。

先輩にそんな風に言ってもらえたのが嬉しかったのかもしれない。

「あの、先輩。ボーカルの練習ってどんなことすれば良いんですか?」

「そうだな…。まずは発声練習!基礎の基礎からだよ。」

そう言って先輩は背負っていたギターを椅子に置いてキーボードの前に座った。

「俺が音を弾くからそれを繰り返してね。お腹から声を出すように意識して。それから歌になるように歌うこと。」

「歌になるように?」

「誰かに思いを届けるようにってこと。それが歌だから。」

「なるほど。分かりました。」

そうして先輩が鍵盤を弾き始めた。

先輩の合図で私がメロディーを繰り返す。

歌になるように。

誰かに届けるように。

キーボードを弾く先輩の指は細くて、綺麗で、見とれてしまう。

他の男子とは少し違う。

そんな感じが手からだけではなく先輩の全てから伝わってくる。

「どうしたの?」

気付けば私は歌うのをやめていた。

「あ、すみません。ちょっと、ぼーっとしていて。」

あなたの事を考えていました、なんてとても言えない。

「そっか。あ、チャイム。今日はこれくらいにしておこうか。」

「はい。ありがとうございました。先輩も自主練あるのに。」

「俺のことなら全然大丈夫だよ。じゃあ、また後で。」

「はい!また後で。」

先輩の後ろ姿を見つめていた。

「おーい、教室戻らないと、遅刻するよー。」

返事もできずそのまま先輩を見つめていた。

また後で。

なんでもない言葉に何故か幸せを感じる。

心が喜んでいるのが分かる。

私はゆっくりと部室を出てゆっくりと教室に歩いて行った。

この気持ちは何という言葉で表したら良いんだろうか。


始まったのは軽音生活だけではなく、

「恋」もだったようだ。