熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします

 

「や……八雲さんは、大楠の周りを一周しないんですか?」


 赤くなった顔と高鳴る鼓動を誤魔化すように口を開いた花は、八雲から目を逸らして尋ねた。


「生憎、健康長寿にも興味はないし、今は特に叶えたい願いも思い浮かばない。だから、御利益にあやかりたいのなら、お前ひとりで行ってくるといい」


 息をこぼすように、やわらかな笑みを浮かべた八雲は、流し目で花を捉えた。

 追い打ちをかけるように心臓が早鐘を打ち始めた花は、胸の前でギュッと拳を握りしめると赤くなった顔を上げる。


「わ、わかりましたっ。それならお言葉に甘えて、行ってきます……!」


 結果として花は、逃げるように先程のカップルが向かった通路へと足を向けた。


(な、なんなの、これ。もう……! 心臓、静かにしてよ……!)


 高鳴る鼓動は落ち着くどころか、うるさくなる一方だ。

 それでも通路の入口で足を止めた花は、大きく深呼吸をしてから改めて何を願うか考えた。

 先程の本殿では、結局何もお願い事をすることができなかった。

 だから今度こそ、間違いなく何かを願っておきたいところだ。


「あ……」


 そのとき、ふとあることを思い出した花は、徐に顔を上げた。


(そうだ、これにしよう……!)


 願い事を心に決めると改めて拳を握り、階段を一段一段上っていく。