戀のウタ

 睡眠障害を抱えているものの日常生活はどうにか送れている。

 それに睡眠障害は目に見える症状ではない。
 何も知らない第三者から見れば千鶴はたおやかな笑みを浮かべる知的な女性に見えるし周りのスタッフの認識もそうだ。

 だが事故直後は今の彼女とは結び付かないほど酷い状態だった。


 妻としても、研究者としても、母親としても、――1番大切なものを奪われた千鶴には何も残されていなかった。

 そんな状況が彼女にとって『絶望』の二文字だったのは言うまでも無い。

 絶望から幾度となく自らの命を絶とうとした。

 だが彼女にとっては『不幸なこと』にどうしても命は断てなかったのだ。

 正嗣は今際の際に「生きてくれ」と言い遺した。
 その言葉が自分を守っているのではないかと思うほどにどんな方法でも命の灯は消せなかった。

 何度試してみても夫の元へ逝けない千鶴は思い直し、何も自分の手の中に残っていないならせめて同質のゼロエイトプロジェクトに一縷の望みを託した。
 
 夫の遺志を心に、それ1つだけを支えにしよう。
 そう心に誓った千鶴に対し目の前の現実は彼女を嘲笑うかのようだった。