長い廊下の先だけを見つめて歩く


「お嬢」


追いかけるように付いてくるのは


小島凱《こじまがい》29歳


「お嬢」


何度目かの声掛けに
急に脚を止めると

それが意外だったのか
驚いたように目を見開いた


 
「お嬢って呼ばないでっ!
次呼んだら、お嬢付きって肩書き
取り上げてやるからっ!」


お腹に力を入れて
大きな声を張り上げると

間近の凱の息を飲む音が聞こえた


「そう怒るなよ」


急に砕けた口調になる凱は
私のお世話担当になってもう10年になる男


やっと元に戻ったところで
離れに続く長い廊下に脚を向けた


少し踵のある部屋履きが
磨き上げられた廊下でキュッと音を立てる


私から離れず肩を並べて歩く凱の気配を感じながら

漸く到着した部屋へ入ると


「さっきのは無いな」


凱が呆れた顔を向けた


「何が?」


「千色だけが遅れた挨拶だ」


「あ〜あれ?あれは
凱にしか聞こえてないよ」


「俺に聞こえたってことは
親父に聞こえたってことだろ?」


「ゔぅ」


礼節、しきたりを重んじる我が家は


白夜会三ノ組木村組の傘下で

構成員100名程度を抱える中堅の森谷組

父はその組長の森谷孝蔵《もりやこうぞう》
母は千歌《ちか》、二つ上に姉の千紗《ちさ》

そして私

森谷千色《もりやちい》

高校を卒業後、看護学校へ通い
看護師国家試験に合格した後
更に、保健師の学校へ通い
先日保健師国家試験の合格をもらったばかりの22歳

我が家は代々女系家族で
父も森谷に婿養子として入った

もちろん例外なく
姉の千紗が婿養子を貰って
この森谷組を継ぐことになっているけれど

生まれつき身体の弱い千紗を
両親も心配しているようで

その役目を私へと押しつけられる前に
看護師への道へと逃げた

ヤクザ の娘が看護師?
世も末のような事態を私は結構楽しんでいる


でも・・・
婿養子を取るやら取らないやら
こちらの世界は複雑なようで


森谷千色

悲しいかな

生まれながらに
許婚アリ