店を出ると、通りは入ってきたときよりも静まり返っていた。知らないうちに結構な時間が過ぎ、夜も深い時間にさしかかろうとしていた。

「それじゃ、俺地下鉄だから」

駅の手前で椎名さんが手を上げて言った。

「うん、今日はごちそうさま。気をつけてね」

立ち止まって和奏さんは笑顔を向ける。

「今日はご馳走さまでした!」

俺は頭を下げて今日のお礼を言った。

「おう、また飲もうな!」

椎名さんはニッコリ笑った。

「宮原は倉科に送ってもらえよ」

「え?わたし大丈夫だよ。倉科くん駅一緒だけど、方向違うし」

「ダメだって。おまえも女なんだから、ちゃんと送ってもらえ。おまえに断られたら、倉科の立場ないじゃん」

あ、と気づいて、和奏さんが、俺を振り返って謝った。

「ごめんね、倉科くん。悪気はないの。倉科くんが部下だから、年下だから、頼りにならなそうとか、そんなことで言ったんじゃないからね。いつもの感じで言っちゃっただけで・・・」

わかってますよ、悪気がないことくらい。わかってます、そんなこと考えてもいないことくらい。わかってるんですけど、声に出して言葉にされると、結構刺さります、和奏さん。

謝る和奏さんに俺は、気にしてませんの気持ちを込めて、笑顔を向けた。

すると、横から椎名さんの呆れた声が割り込んだ。

「ばーか。後輩に気を遣わせるなって」

「和奏さん、もう夜遅いですし、一人歩きは危ないですから。俺に送らせてください」

和奏さんは自分の失言に反省しているのか、少し顔を赤くして頷いた。

「はい。ありがとう」

小さな声で答えが返ってきた。

「よし、倉科、宮原頼むな。おつかれ」

「はい、任せてください。お疲れさまでした!」

「お疲れさま」

椎名さんと挨拶をして、別れた。
和奏さんと二人で、駅までの道を歩いた。

こんな夜に二人きりで歩くのは、初めてだ。なんか緊張するな。和奏さんはと見ると、まださっきの失言を気にしてるようだ。元気がない。

そんな申し訳ないと思わなくてもいいのに。
俺はすごくあなたらしい発言だと思ったし、そうゆうところ、好きだから。

せっかく一緒にいるのに、こんな無言のままなんて、嫌だ。時間がもったいない!そう思って俺は話題を振った。

「和奏さん、俺、椎名さんて、気さくに話しかけられるけど、もっと計算高くてオレ様で金の亡者的な人かと思ってました。全然違いましたけど」

思い出して少し笑うと、和奏さんが声を立てて笑った。

「あはは!何それ、あいつが金の亡者?!倉科くん、そんなこと思ってたんだ」

おかしいと言わんばかりに、クスクスと笑っている。

「だって営業ってノルマとかあるって聞くし、計算で動くだろうし、やっぱ会社の花形ポジションだから」

「そうね、営業が頑張ってくれなきゃ、わたしたちの企画もかたちにならないものね。でもお金にできないことや、表せないこともあるのよ、きっと。経験しないとわからないんだろうけど」

「そうですね」

顔を上げてくれた和奏さんと目が合った。いつものキラキラと輝いて仕事している笑顔に戻っていた。

「それにしても、椎名さんが結婚してて、しかも子どもが2人、さらに3人目が産まれようとしてるなんて、ほんとに驚きました」

「あいつが咲葉を好きなことを知らない人はいない感じだったから、社歴の長い人は当たり前だけど、特に言いふらすことでもないし、女性と違って男性は子どもがらみで仕事に影響もほとんど出ないものね、咲葉は退職して専業主婦だし、わからなくて当然かもしれないわね」

「はい、このこと知ったら、社内の何人の女性が泣くんだろう。うちの部の女子たち全員泣きますね」

俺は冗談半分、本気半分で言ったのだが、和奏さんは、

「どうかしら?倉科くんに彼女がいることを知ることのほうが、女の子たちには、ショックかもよ」

和奏さんは俺を見ずに少しだけ真剣な声で言った。

「え?」

思わず、和奏さんを見つめてしまった。
それは、どうゆう意味ですか?

和奏さんが笑顔で俺の方を向いた。

「だって、仕事ができてイケメンで、部署も一緒で歳も近い。さらに将来有望株!年上で部署も違う椎名よりずっと見込みあると思わない?」

人差し指をぴっと立ててポーズを決めた。

「買いかぶりすぎですよ」

「そんなことないわよ。きっと倉科くんはわたしなんかより、上に行けるわ」

別に振られたわけじゃない。いらないって言われたわけでもない。
でも、なんだか無性に寂しく感じた。

それから、他愛ない話をして、最寄駅に着いた。

改札を出ると、いつもと違う出口へ歩き出す。

「ほんとにごめんね。倉科くん反対側なのに」

「謝らないでください。もし、和奏さんに何かあって、明日からいないなんてことになったら、俺、後悔してもしきれませんから」

負担にならないようにできるだけ軽い感じで言った。

「何かってなによ?」

「痴漢にあったり、通り魔に襲われたり、酔っ払いに絡まれたり?」

俺は考えながら、答えた。

「それは恐ろしいわね」

「でしょ!それに椎名さんとの約束を破るわけにはいかないし」

「そうね。ありがとう」

よかった。笑顔になった。

駅の近くの大通りを途中で脇道に入る。
閑静な住宅街が広がっていた。
さすがにこの時間になると、ほとんど人影はない。

「一本道入ると、静かなところですね」

歩きながら、話しかけた。

「昼間は、近くに公園や小学校なんかもあるから、子どもたちの声で賑やかなんだけど。夜も遅いと、しんと静まり返ってるわね」

木が茂っているところが公園かな。結構大きいし、昼間は子どもたちが遊んでいるのが、想像できる。

5分ほど歩くと和奏さんが、立ち止まった。

「わたしのうち、そこのマンションだから、ここでいいわ」

俺も立ち止まって和奏さんの見上げるマンションを見た。

柔らかなベージュのタイル張りのマンションだった。高さは10階建てくらいだが、周りのマンションに比べると大きさはやや小さめだった。独身か新婚向けくらいのイメージだ。

エントランスの前まで来ると和奏さんがぺこりと頭を下げた。

「今日はいきなり付き合わせてごめんね。送ってくれてありがとう」


「いえ、楽しかったですよ。思わぬ情報も手に入ったし。俺こそありがとうございます」

俺もお礼を言った。

「それならよかった。お疲れさま、また明日ね、気をつけて」

「はい、お疲れさまです。おやすみなさい」

「うん、おやすみなさい」

優しい笑顔で俺に手を振った。
俺も笑顔で振り返した。

おやすみって、まるで恋人が別れるときのような挨拶に浮かれまくった俺は、フワフワ夢ごこちでどうやって帰ってきたかまるで記憶がなかった。