ハルの入れてくれた温かいお茶が、喉だけじゃなくて、身体中にしみる。心がじんわりあたたまった気がした。

店の中にいるのは俺とハルだけだ。つまり客といえる客は一人もいない。
俺の来る時間が悪いのか、この店が繁盛しているところを見たことがない。

冷静に周りを見ることができた。
さっき見たことを忘れたわけではないが、だいぶ落ち着いてきた。これはこの店に来たからだ。店主が俺を落ち着かせてくれた。

俺のお茶が空になろうとしていると、ハルが急須を持って来た。

「はい、もう一杯」

「え?いいよ」

と言ったが時すでに遅し。ハルは俺の湯飲みにおかわりのお茶を注いでいる。

「新作があるんだ、食べて感想ちょうだい」

そう言って、今度は冷蔵庫から何やら取り出して、俺の前に置いた。

「キレイだね。紫陽花?」

微妙に色合いの違うゼリーがモザイクのようなガラスの器に反射して、キラリと輝いた。小さなゼリーは紫陽花の花のように集められて、バランスよく器の中に咲いていた。

「そう、もうすぐ6月だからね。雨ってなんか和菓子合うと思わない?」

「そうだね。なんかちょっといいかも」

「だろ?」

ハルは得意気に言う。

彼の名前は吉井晴人(よしい はると)あだ名はハル。
この店の店主にして、俺の幼なじみだ。
家は老舗和菓子屋で、ハルは跡取り息子だから、いずれは社長になる。店舗に食べられるスペースがないため、お客さんの反応がわからない、これはきっとすごく損をしている。と考え、大学を卒業後は父親の会社に社員として入社し、お店の近くにこのカフェを提案、現在はマーケティングや広報なんかを任されつつ、このカフェの店主を務めている。

会社にずっと座ってるのはやだとかなんとか言って、よく店に来て仕事をしている。まあ、はっきり言って店が混むことはないから、接客で困ることはないらしい。

それでも、すぐそばでお客さんが食べてくれることで、得られる視覚、聴覚からの情報は店舗では得られない貴重なものだとか。
結果、店舗で購入していってくれれば、この店の売り上げは度外視して構わないらしい。だから、ハル曰く、「この店は繁盛はしていないが立派に役目を果たしている」と。

それに、閑古鳥が鳴くような店だが、それを好んでくるお客さんもいるとか。「なんていうの、都会の喧騒を忘れてしまうような非日常を味わうみたいな?それは混雑した店では提供できない空間なんだ」とかなんとか。以前ハルは言っていた。
確かに人目もはばからず、好きなだけ小説を読んだり、ぼーっとしたりできそうだ。

その時間を確保できることは贅沢なことで、そうゆう心にゆとりがある人は、お財布にもゆとりがあるから、単価は意外と高いらしい。とはいえ、回転が遅くて絶対数が少ないのだから、やはり儲かってはいないのだろうけど。

紫陽花のゼリーを食べ進めると、微妙に味が変わって来た気がした。

でも、微妙すぎて、はっきり何味と何味かわからない。
気になるので、俺はハルに確かめることにした。

「ねぇハル、これもしかして、色んな味ある?」

カウンター内にいる彼に見えるように、器を掲げた。

「あ、気づいてくれた?実は7種類もあるんだ」

な、7種類?嘘だろ?せいぜい4種類くらいにしか感じなかった。
俺ってそんなに味覚に鈍感だったっけ?

「その顔は思ってた数と違ったね。いくつだと思った?」

ハルが笑顔で聞いてくる。
俺は小さな声で

「教えない」

と答えた。

「そう。まあ、いいけど。それよりどう?美味しかった?」

「美味しいけど、味の差が微妙でなんか気になってモヤモヤする。もっとわかりやすいほうが美味しく食べてもらえる気がした」

「そっかあ、忌憚ない意見ありがとう。でもさ、それじゃ、他と変わらないよね」

あ、確かにそうだ。味を濃くしたら、美味しくなったとしても、他と同じことになってしまう。それで果たしてこの商品を選んでもらえるのか?
でも、リピーターを考えると、美味しいことは大前提のような気もする。じゃあ、どうしたら。。。
いつのまにか、企画を考える時と同じ、仕事モードになっていた。

「うーん、確かにモヤモヤするかも(笑)でも、目で見たのと違う味ってのもなあ。この微妙な色合いがこの季節のイメージだからなぁ」

それは俺も思った!見た目とのギャップはサプライズにもなるけど、味覚に関しては意外性よりも、それを上回るおいしさのサプライズの方が受ける。

「やっぱまだ、改善の余地ありだな。これじゃ、メニュー開発部に突っ込まれるもんな」

「颯多、貴重なヒントありがとな!」

「ううん、企画部なのに、俺もそれを上回るアイデアが出ないし、ごめん」

首を振ってから謝った。

新作を食べ終わったころ、入口の扉が開いた。扉が開いた瞬間、外の雨音が店内に入り込み、まだ外は激しい雨だとわかった。