「これ、金曜日の資料です。チェックお願いします。」

俺はチームリーダーの彼女に資料を差し出した。

「え?もう出来たの?早すぎない?まだ火曜日だよ」

「そうですか?修正とか飛び入りの緊急案件とか考えたら、これくらいでちょうどいいと思いますけど」

俺が最もらしく答えると彼女は鮮やかにニコッと微笑んだ。

「さすがサブリーダー!失礼いたしました」

そして少しおどけて最後は軽く頭を下げた。

「からかわないでください」

「ありがとう!後ほど確認するね」

今度は上司のカオで笑顔

「よろしくお願いします」

俺も軽く頭を下げて、席へと戻った。

彼女の笑顔が、名残惜しくて、席に着いてからデスクを振り返った。

彼女はさっきの笑顔を微塵も感じさせないほど、真剣そのものの眼差しでモニターに向かっている。

もう切り替えてる。
あまりの真剣な眼差しに無条件に応援したくなる。


「アラサーはおばさん」なんて、一体だれが言い出したんだろう。
彼女は、いつも輝く笑顔を振りまいて、キラキラ仕事をしている。

俺が所属するチーム宮原のリーダー
宮原和奏(みやはら わかな)28歳 独身
俺の想い人だ。


今日は食堂が空いてたから、いつもより早く昼飯にありつけたのもあって、昼休みを少し早目に切り上げて、席に戻った。

昼に出ていくときとほぼ変わらない姿の和奏さんが目に入った。

もしかして?っていうか昼食べないでずっとあのままパソコンに向かって?

どうやら彼女は昼休み返上で仕事をしていたらしい。

俺はパソコンでみんなの今日の予定を確認する。
このあと、特に特別な案件はないけど。
何かあったのかな・・・

ふっと視線を感じ、振り返ると和奏さんと目があった。がすぐに逸らされる。

俺は気づかないようにさりげなく、彼女の様子を観察することにした。

また数分後、さらに数分後、和奏さんは俺を見ていた。


恐らく彼女は俺に頼みたいことがあるのだ。けれどまだ昼休みだし、悪いと思っているのだろう。でも、できることなら早めに声かけたい。それが視線になって表れている。

そんなふうに気をつかうところは彼女らしいが、そんな些細なことで俺が嫌なカオすると思われてるのは、ちょっと心外だ。

部下なんだから、遠慮なく使ってくれていいのに。ほんとにこの人は・・・

昼休みが終わるころ、俺は引き出しを開けて、非常食のチョコレートとのど飴を掴んで、和奏さんの席へ向かった。

「お疲れさまです」

「お疲れさま」

俺に向かって顔を上げる和奏さん。
俺を見つめたまま、時が止まったように固まっている。
そう、ここまで来てるのに、彼女はニノ句を継がない。

だから俺から、引き出す。

「俺、今手あきましたけど、何かありますか?」

「え?」

俺の言葉に、和奏さんも小さく反応する。驚きが喜びに変わり、その瞳はキラキラと輝きだした。
お願いする気満々だ。
ってそれでいいんだけど。
そのつもりで来たんだし。

「ほんと?じゃあ資料の続きお願いしてもいいかな?」

いそいそと資料を準備する。すると思い出したように動きを止めて、俺を振り返った。

「あっ、倉科(くらしな)くん、時間どれくらいあるの?」

「それなりにあります。内容にもよりますが、軽いものなら資料1件くらいできますよ」

俺が笑顔で返すと、彼女はホッとしたように息を吐き、笑顔になった。

笑顔のまま、受け取った資料を見た瞬間、俺は目を疑った。
顧客名が今日打ち合わせ予定のお客さまのものだったからだ。

「和奏さん、こちらのお客さまって、今日打ち合わせに行く予定ですよね?」

「うん、そうなの。ほとんどできてるんだけど、修正と追加資料の入れ込みがまだ未完成なの」

「『未完成なの』じゃないでしょ⁈今やってるのは何?これよりも急ぎなの?」

らしくない状況ににちょっとイラついて、まくし立ててしまった。

「これは、朝部長に『今すぐ頼む!』ってお願いされちゃったやつで。午前中で終わると思ったら意外と終わらなくて・・・」

最後の方は声が小さくなっていった。申し訳ないと思ってるんだろう。
そんなこと思うより、仕事を遂行する方が優先だってわかってるはずなのに!

さらにイラついて、

「こんな段取りじゃまずいでしょ?なんで部長に頼まれたとき、すぐに俺に声かけなかったんだよ!」

俺は敬語が飛んでいた。

「わかってるわよ!でも倉科くんもみんなも今日急ぎの案件があったし」

「それはそうだけど。午前中に片付く話でしょ!早くに声かけてくれたら、俺だって昼休み返上できたのにっ」

「え?」

和奏さんのつぶらな瞳が驚きの色に染まった。

やべっ!せっかく気づかないフリしてたのに。
もういいや!俺はしまったと思ったが、そのまま、手の中のチョコと飴をデスクに置いた。

彼女の視線が、俺から、今デスクに置かれたものに移動した。

「俺が昼飯食って戻ってきたとき、出てったときと同じだったから。それに、俺が早く戻ってきたのも知ってるくせに」

彼女の瞳は驚きの色を深めた。

「俺は何のためにいるんですか?なんで遠慮なんかするの?仕事振るのが和奏さんの仕事でしょ!」

「あ、うん。そう、ね。・・・はい、ごめんなさい」

俺にちょっと圧倒され、どうにか言葉を紡ぐ。申し訳なさそうに俯いてしまった。

謝ってほしいんじゃない!そうじゃなくて!
俺は・・・
全然伝わらなくて、心の中で叫ぶけど、今はそんなことをやってる場合じゃない!

「もういいから!データ送ってください!17時までに上がれば問題ないですね?」

「はい!今送ります!」

我に返ったように、顔を上げてキリッと答える。

俺は大急ぎで資料を持って席に戻る。

座ると同時にメッセージが届いた。

『これでお願いします。わからないところあったら声かけてね。
チョコとのど飴いただくね。


倉科くん、ありがとう』

瞬殺だ。一瞬で頬が緩む。

これだけで気持ちよくやる気満々になれるんだから、俺ってば、ほんとにお安いなあ。

さぁって、チャチャっと片付けて、笑顔付きのありがとうをゲットだぜ!