仕事をいつも通りこなした午後。


「はあ……」


五時半を指す時計の張りを見て、思わず溜息を一つついた。


「…麻衣大丈夫?」
「今日、何か元気ないですよね~。」


隣から、後輩の西島君が、タブレットから目を上げて、サクラさんと私を見る。


「秋川さんが元気無いと、心配になりません?」
「ご、ごめん…。サクラさんもすみません…」
「や、いいのよ。仕事で迷惑かけてるわけじゃないんだし。ね、西島君?」
「そうっすよ!寧ろその逆!いつも秋川さんにはお世話になってますからね。仕事が溜まってるとかなら、こっちにふってくださいって事です。」


ニカっと笑う西島君は、「無理は禁物っすよ!」と言いながら「ミーティング行ってきます!」と張り切って課を出て行った。


「西島君もだいぶ育ってきたね。」
「そうですね…最初は右も左もわからない感じでしたよね。」
「私が怒るとパワハラだ!とか言い出してね。そのたびに麻衣に仲裁に入って貰って。ほんと、助かった。」
「…だって。サクラさんの怒るのには必ず理由があって、それを改善できるって思ってくれているからですから。西島君ならそれを理解出来る人なんじゃないかな…って。」
「そうだね。私もそこを信じてたから、西島君には結構厳しくしちゃったかも。まあ…麻衣にほどじゃないけどね。」


穏やかにニコリと笑うサクラさん。


「…ほんと、よく仕事をしてくれて助かってる。」
「さ、サクラさん…やめてください…。」


ムッと口を尖らせて見せたら、目尻に皺が寄るサクラさん。


「そこは素直に『私は凄い』ってなればいいのに」
「凄くないですから。」


楽しそう笑いながら、自分の鞄にタブレットをしまった。


「…宮本さんの気持ち、分かるよ。私は。」


気持ち……?
首を傾げている私に「ほら、早く帰らなきゃ。定時だよ?」とせかす。


「あ…はい…」


追い出されるように「失礼します」と課を出てエレベーターに乗ったけど。


……そういや、私、サクラさんに定時であがって宮本さんと会うって一度も話してないよね。

それなのに…


『定時で今日もあがりなよ』

『早く帰らなきゃ。定時だよ?』


……どうして、私が定時で上がらなきゃと思っているのをわかっているんだろう。


チンと無機質な音がしてエレベーターのドアが開いた。



もう…宮本さん来てるかな…


エントランスへと近づいて行き、聞こえた、受付嬢さん二人の話。



「…本当に、昨日のあれは無いよね。」
「前園…咲良さんだっけ。堅物で有名らしいよ。」


サクラさんの事…言ってる。

思わず足を止めて、観葉植物の後ろへと隠れてしまった。


「男の影も全く無いらしいよ~昔から。」
「あんな愛想無い、ツンケンした感じで、物事ズケズケ言ってたら、モテそうもないじゃん。27歳だっけ?ただの行き遅れのおばさんになりかけてるじゃんね。」


…一応、小声で周囲に聞こえない様に話はしているんだろうけど。
鉢植えを介しているだけの私には丸聞こえで。サクラさんが私を庇った為に悪口を言われてる。その事実に、苦しくなってギュッと思わず唇を噛んで俯いた。


瞬間、隣をスッと誰かが通り過ぎる。


み、宮本…さん…


「……言っとくけど、前園咲良は、相当イイ女だよ。付き合いたくても中々付き合えないからね。男性陣からしてみたら、"リアル高嶺の花”ってやつなんだよ。」


“付き合いたくても中々付き合えない『高嶺の花』”


サクラさんをべた褒めされて、その通りです!と思っているのに、宮本さんから発せられたと言う事実に、ズキンと気持ちが痛む。


「えー!ち、違いますよ…どなたかが言ってらっしゃったのを『そうなのかな?』って少し話をしていただけです…。」


内容云々よりも、宮本さんに話しかけられた事にテンションが上がったのか、受付嬢のお二人は、少し声がうわずっている。


「そうなんだ。じゃあ、それは全くの事実無根な話だから、金輪際、前園咲良に関して口にしないで?」


小首を傾げてニコッと笑う宮本さんに、「はい!」と二人揃って返事。あわよくば、会話を広げようとソワソワしているのが明らからで。


これ…ものすごく、観葉植物の横から出づらいよね、私。


躊躇していたら、宮本さんが「じゃあ、お疲れ様」と二人に挨拶をしてから、私の元へ歩いて来て手を握り引っ張った。


ああ…宮本さん……できれば、もう少し穏やかに登場させて欲しかった。


案の定、私の登場に一気に顔がこわばり、目つきが鋭くなる二人。



「お、お疲れ…様…です…」


そんな二人に愛想笑いを浮かべ、宮本さんに引っ張られながら受付を通り過ぎ、ビルを出た。




「車で来たから、パーキングまでこのまま歩くけどいい?」
「は、はい…」


覇気無く答えた私を宮本さんは真顔で見て足を止める。


「…やっぱり寝不足?」
「え?!い、いえ…よく眠れましたので…」
「だよね。すっげー幸せそうな顔してヨダレ垂らして寝てたもんね。」
「え?!ヨダ…」


クッと笑うと、私の片頬をキュッとつまんだ。


「まあ、明日はお互い仕事休みだし、ゆっくりすりゃいいでしょ。観覧車乗ったら、早めにメシ食って帰るよ。」
「はひ…」


……まるで、さっきのサクラさんを庇ったくだりは無かったかのような会話。

ここまでされると、逆に思ってしまう。

やっぱり、宮本さんは、サクラさんが好きなの?って…。


だから…余計に恐くて蒸し返せない。
さっきの“リアル高嶺の花”について。


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