「お師匠さん先日の事なんどすけど」


稽古場に入ると、姿勢の良い熟年の女性、お師匠が板の間を前にまっすぐまえだけを見て座っていて、なごみの事は一切見ようとはしなかった。


「ええから挨拶」


「はい」



急いで練習鞄から扇を出すと、お師匠さんの近くにちょこんと正座した。


「おたのもうしますおしょさん」


扇を膝の前に置くと、指を揃えて柔らかく頭を下げる。


「はいじゃあさっそく祇園小唄から」



なごみは稽古場の板の間に摺り足で歩み出て、踊り始めの姿勢をとった。


レコードから三味線と太鼓の音色が流れる。


お師匠さんが持つリズムバチが机の角で「パンッ」と軽快にテンポを刻む。


「はい、ちんとんしゃん、とんてんちん」


お師匠さんは鳴物に合わせて歌うので、覚えた全部の舞は、だいたい頭の中でお師匠さんの「ちんとんしゃん」が流れるようになっていた。



「ほな次は京の四季」

「夕立」

「藤娘」

「菊づくし」

.....一曲も踊ればいくら冬でも汗が流れるというのに、休みもなくこれまで習った全ての演目が次から次へとお師匠さんの口から出てくる。

息が上がるのもなんとか忍ばせながら、曲の終わりのお辞儀をすると、お師匠さんがまた口を開いた。

「宮山音読」


これは嫌がらせだわ。


なごみは辟易しながら扇に手をかけ曲がかかるまでの間息を深く吸い込んだ。