幸いにも次のバスは時刻通りにやってきた。ホッとしながらバスのステップに足をかけたその時だった。
「杏奈!」
先ほど通り過ぎたはずのセダン車が路肩に停まり、そこから人が降りてきた。名前を呼ばれ、とっさに顔を上げた私は信じられない光景に目を疑う。
「な、んで」
うまく声にならず、ただその場に固まる。突然目の前に現れた人物に、あらゆる感覚器官のすべてを奪われた。
グレーのストライプスーツに身を包んだ彼は、手足が長く、まるでモデルのよう。胸元までネクタイを締めた正装姿で、こちらに駆け寄ってくる。
いけない、ぼんやりしている場合じゃない。
バスの運転手に「乗りますか?」と声をかけられ、自分が置かれている状況を思い出す。
「の、乗ります、すみません」
「杏奈、待ってくれ!」
強く腕を引かれ、抱き寄せられた。
この腕の温もりと広い胸に抱きしめられる感覚を私は知っている。
胸がヒリヒリ痛くて、張り裂けてしまいそう。
「は、離してください」
私は声にならない声を振り絞る。動揺していることを悟られてはいけない。冷静にならなければ。心を落ち着かせようと必死だった。
「やっと会えたのに、離してたまるか」