読めないあなたに小説を。




「ほな、帰るから」


恵弥くんがスタスタと歩いて行く先には、
1台のタクシーが停まっている。


ドアが開いて、それに乗り込もうとする恵弥くんに、
私は大きな声で呼びかけた。


「け、恵弥くん!」


恵弥くんが振り返る。
私は笑顔を浮かべて、手を振った。


「また、明日ね」


しばらく黙っていた恵弥くんは私を見つめていたけれど、
静かに微笑んで手を振り返した。


「またな」


タクシーは恵弥くんをまるごと飲み込んでしまう。
そのままゆっくりと走り始めて、坂を下っていった。


タクシーが見えなくなるまで見つめて、
それから下へと視線を移す。


恵弥くんが助けてあげたタンポポはなくなっていて、
土がかぶさった鉛筆だけが転がっていた。


恵弥くんの、鉛筆。
それを拾い上げて見つめた。


この優しさに、どれだけの人が気付いたのかな。
たとえ私1人だけだったとしてもいい。
私だけはこの優しさを覚えていようと、
その鉛筆を抱きしめた。











―きゅーん。