なんで苦しいか。
そんなの分かりきってるのに。
なぜ友人はそんな事を聞いたんだろう。
そんな事を考えながら道を歩く。
歩きスマホの人。友達と話している人。
私は1人で歩いていた。
見上げた空が綺麗で、息を飲む。
一瞬雑音が遮られひどい目眩がした。
ふらつき足がもつれそうになったとこでなんとかバランスを保った。
…前にもこんなことあったな
習い事の最中。頭がずっとクラクラして倒れ込みそうになっていたことを思い出す。
そう、思い出していくと他にも類似している事がいくつもあった。
たとえば
親にいろいろ言われている時、何か言ってるのは分かったが体が動かなくて聴覚以外の記憶がほぼないこと。
強いストレスで目眩も酷く、体調を崩したこと。
まだまだたくさんあった。

そんな日を私は「日常」と呼んだ。

これがずっと続くから「日常」と呼ぶ。
この現実から逃げられないから「日常」と呼ぶ。
くるしいことを思い出さないように「日常」と呼ぶ。
「日常」のフリをした
ただひたすら非「日常」の痛みを怖がって。
いつもの「日常」に執着する。
そのフリに「慣れ」て「日常」になってく。
その代償___日常であることのツケは必ず体に回ってきた。それすら「日常」と言った。
確かなSOSを「日常」といい。これくらいでへばってはダメだと「慣れ」させ。
自分を叩き続けた。
非「日常」の痛みを誰かに与えたくないあまり、自分で発散させていた。
「日常」の痛みにしてしまう為に自分を叩いた。
このままじゃ死んでしまうと「慣れ」させ「日常」にしていく。

そんなことばっかやっていた。

どれだけズタズタにされても笑い。
理不尽にも「慣れ」させて「日常」に同化していく。
左手首の生傷は暖かく、綺麗だった。

「なんで苦しいか教えてよ」
友人は窓の前にたって私を見ていた。
「日常だからだよ」
ちょっと驚く素振りを見せた後友人はこちらに一歩歩み寄った。
「じゃあなんで変えようとしないの?」

そこで今日の明晰夢は終わった。