最後のハンモックを覗き込んだ僕は、ヨロヨロと壁に手をついてその場に膝をついた。

工場内にあった数百個のハンモック――そのどれにも、ラプラスは入っていなかった。

途中の度重なる奇襲で制服は裂け、血が流れ、心身共にボロボロだ。

もしこの瞬間『ソロモン・リング』の接続を切ったら、僕は間違いなく意識を失うだろう。

「君はよく頑張ったよ」



乾いた拍手と共に頭上から声がした。

顔を上げると、五月雨が天井付近の鉄骨の上でこの世界を統べる王の如く屹立していた。

「そんな姿になりながら決して最後まで探すことを諦めなかった。俺は君に対して心からの敬意を表したいと思う」

「まだだ……まだ終わってない……まだ僕はラプラスを見つけていない……!」

「君は途中で気付いていたはずじゃないのかい。このハンモックなんかにラプは隠されていない……と」



僕は目を見開いた。

「違う……違う!」



言葉とは裏腹に、僕の深層心理はとっくに理解していた。

ラプラスが見つかったら即終了のこのゲームで……五月雨がこんな安易な場所に彼女を隠すはずがないことを。

そう、僕はただ逃げていただけだった。

全身を襲う疲労感と、そして五月雨に追われる恐怖から逃れたかった。だから必死に
『このどこかにラプラスがいる』という可能性にすがっていただけだったんだ。

動揺のあまりふらつく僕を見て、五月雨は少し冷めた表情になった。

「その様子だと図星の様だね。少し興ざめだよ……てっきり君なら、また俺の予想を超越する何かを見せてくれると思っていたのに」

「まだゲームは終わってない……まだ僕はお前を超えてない!」

「……もう、いいよ」



静かにそう告げて、五月雨は青の刃を出現させた。

「かつてアリアは戦闘技術で、そして君は根性と執念で僕を楽しませてくれた。そろそろその苦しみから解放してあげるよ……本来『天使』とは天国にいるべき存在だからね」

そして、五月雨は鉄骨から飛び降りて稲妻の様に刃を振り下ろしてくる。

僕は即座にプラズマブレードを出して受け止めたが、続けて横に薙ぎ払われ受け止めきれず突き飛ばされる。

ラインエリアから飛び出し、工場の支柱に叩きつけられた僕へ五月雨はゆっくり歩み寄ってくる。

もはや切り結びすら成立しないそんな体で、僕は柱にすがりながら必死に立ち上がる。

もういっそのこと楽になってしまいたい……これ以上意地を張り続けても苦痛を長引かせるだけじゃないか。

そんな考えが朦朧とした頭を過る。

そうだ……つい最近まで僕は死のうとしていた。日本一高い塔、ユグド・タワーの最上階から飛び降りて。

それを救ってくれたのはラプラスだ。

彼女は僕に翼をくれた。僕に天使として彼女を守る役目を与えてくれた。

だけどもういいよね……? 僕は充分役割を果たしたよね……?

力なく項垂れ、観念しようとする僕の瞼の裏でラプラスが儚げに微笑む。

どうして? どうして君は僕の瞼に焼き付いて離れてくれないんだよ……

僕はこんなに頑張ったんだ。もう消えてしまったっていいでしょ?

死神の足音がすぐそこまで近づいた、その時――瞼の裏の彼女に向かって、僕自身の声が響いた。



『どうせ消えるならあの世でも地下施設でもなく、もっとマシな場所へ消えないか? ――大勢のモブが行きかう平穏な日常へ』