次の瞬間、謎の影が頭上から降ってきて先頭の歌姫の顔面が千切れ飛んだ。

その影は更に縦横無尽に飛び回って迫りくる触手を次々とかわし、最前列の歌姫の顔面を断ち切っていく。

一瞬にして歌姫の残骸が散乱する中、影は一瞬で僕の前に移動してその青い刃の先端を向けた。

謎の影――五月雨終は、返り血一つ浴びた様子もなく僕に向かって鋭い口調で告げた。

「聞こえなかったのか、夕立始。早くラプを連れてここから避難しろ」

「な……どうして……?」



状況が全く理解できず、僕は唖然として五月雨の顔を見つめる。

「どうしてこんなことを? この歌姫の軍勢は僕たちを降伏させる為にお前が送り込んだんじゃ……?」

「この俺が物量攻めなどという頭の悪い作戦を使うと思うか? 確かに最初この歌姫は我々の制御下にあったし、漁夫の利を狙っていたのも事実だ。だが――状況が変わった」



そう言って、五月雨は氷の様な目で倒れた時雨さんを蔑む様に見下ろす。

「そこの子娘の配下に優秀なハッカーがいるのは気づいていた。しかし油断したよ……まさか歌姫本体の制御装置をハッキングして乗っ取りを仕掛けてくるとは」

「っていうことは、あの歌姫たちは『システム』の統制を外れてるだけじゃなくて――」

「今や『堕天使陣営』の手先だ。もし俺が遅れてお前たちがノコノコ降参していたら、触手の餌食になっていたぞ」



なるほど……だから五月雨が直々に出撃せざる得なくなったのか。

五月雨の当初の目的はあくまでこの戦況を制御することだったはず。

しかし『堕天使陣営』……恐らく時雨さんたちのことだろう……が一部の歌姫のコントロールを奪ったことにより、僕たちを殺す道具として動かすことが可能になった。

五月雨からすれば僕とラプラスは絶対に死なせるわけにはいかない。だから慌てて助けにきたのだ。

「『堕天使陣営』と同じことは俺も考えていた……時雨鏡花に深手を負わせた歌姫は、俺が試験的に『システム』の統制から外した自立型だ。だが『堕天使陣営』のハッカーはその歌姫をハックした上で『夕立始とラプラスの殺害』を指示している。その軍勢が今ここに向かっている連中だ」



その時、地響きと共に次鋒の歌姫たちが商店街まで降りてくるのが見えた。

その数およそニ十体。いかに五月雨でも、とても一人で倒し切れる数には見えない。

「私がシステムに連結して直接信号を送れば、停止させられるかもしれない」



ラプラスがそう申し出たが五月雨は首を振った。

「歌姫が自立制御になっている以上外部からの干渉は無理だ」

「でも……」

「いいから行け。ここは俺が何とかする。……敵に情けをかけながら戦うような奴など、邪魔でしかない」

「情け?」



五月雨は、戸惑うラプラスから僕に視線を移す。

「夕立始。お前は先程、ラプラスと繋がったことでプラズマブレードの感触を手にした。その気になればすでにお前はブレードを生成出来るはずだ。違うか?」

「…………」

「お前が時雨鏡花戦で刃を取らなかったのは、彼女を殺したくないという潜在意識のせいに過ぎない。正直がっかりだよ。君なら好きだった女を殺す、という残酷な選択をも超えていけると思ったんだけどね」

「……そんなものは正しい選択じゃない。そんな選択を選ぶくらいなら、僕は何も超えないままで構わない」

「それじゃダメなんだよ。君は俺の所有物なんだ。俺の望む通りに成長してもらわなきゃ困る」



五月雨が凄みのある声で告げる。

だが、僕が何も言い返さないのを見てさっさと背を向けた。

「お喋りはここまでだ、早くここから立ち去れ。俺も君たちの後は追わないことを約束する。いわゆる休戦協定というやつだ」

「休戦協定……? 僕たちを逃がしたら『システム』が崩壊すると分かっているのに、そんな言葉は成立しないよ」

「成立するさ。君たちが時雨鏡花を置いていってくれるなら」



しかし五月雨の返答は淀みがない。

「どうせ君たちのことだ、彼女も連れて逃げるつもりだったのだろう? もしそれを諦めるのなら、俺も事態が収拾するまで後を追わないことを約束する。これで等価交換だ」

「そんな、彼女は今にも死にそうなんだ! それに、お前と二人きりにしたら確実に時雨さんを殺すに決まってる!」

「今は時雨鏡花は殺さない」



僕の目を見据えて彼は言った。

「今彼女に死なれたら、歌姫を操っているハッカーの居場所が分からなくなる。だから彼女は重要参考人として生かしておく」



その灰色の瞳を見て、僕は一瞬迷う。本当に時雨さんを置いて行っていいのか?

しかし一応五月雨の言うことは筋が通っているし、正直僕たちが時雨さんを連れて行っても適切な治療が出来るとは限らない。

一方、五月雨なら歌姫さえ何とかなれば時雨さんの命を救える。

「絶対に……絶対に生き残って時雨さんを助けろ」



僕が詰め寄って告げると、五月雨は不敵な笑みを浮かべた。

「嬉しいねえ。君に無事を祈られる日が来るとは思ってもみなかったよ」

「お前の為じゃない。時雨さんの為だ」

「分かってるさ。でもいつかきっと君の心は俺のものになる。そう信じてるよ」



この期に及んで気色の悪い発言をする五月雨に寒気を覚えつつ、僕はラプラスの手を引いた。

「行こう……さっき言ってた廃工場まで案内してくれ」

「うん」



僕とラプラスが立ち去った後……五月雨は歌姫の軍勢に向き直り、ご馳走を前にした子供のような笑顔を浮かべた。



「では――『手早く』済ませてしまおうか。この後には飛び切りのデザートが待っているからね」