話はラプラス解放の前日に遡る。



五月雨終に『任務の前にラプラスを一日解放しろ』と要求した僕は死を覚悟した。

冷酷無慈悲なこの男が、そんな都合のいい話を簡単に飲むとは思えなかった。

五月雨はしばらく灰色の混濁した瞳で僕を見つめた後……ゆっくり立ち上がりポケットから黄金に輝く輪を取り出した。

「……指輪?」

「残念ながらプロポーズじゃないよ。これは俺が君を繋ぐ為の手綱でもあり、強大かつ危険な力でもある。この指輪の持ち主となることを受け入れるなら、俺も君の提案を受け入れよう」

「よく分からないけど……それで本当にいいのか?」

「どのみち時雨鏡花は俺でも殺せる。それに――また少し、悪い癖が出てしまってね」



五月雨は恍惚とした表情を浮かべた。

「始君が俺の予想をどう超えてくるか、興味が湧いてしまった」

「どういう意味?」

「君は『天使』である故にラプにも俺にも予想の付かない行動を繰り返してきた。今回ラプとの外出のチャンスを与えることで、君が因果律にどう影響を与えるのか知りたくなったのさ」



その口上はまるでモルモットにされているみたいでいい気はしなかったけど、こちらの要求が通るならそれで構わなかった。

「さて話は付いた。早速戦闘訓練を始めようか」

「……は?」

「約束の外出は明日だろう? 時雨鏡花を暗殺するまで君は俺の所有物だ。拒否権はない」

「そ、それはそうだけど……」

「返事は?」

「はい……」



ここで五月雨の機嫌を損ねたら、明日の約束を反故にされかねない。

僕が大人しくなるのを確認して、五月雨は満足気に笑った。

「まずはその指輪を付けたまえ」



言われるがままに指輪を中指にはめると、黄金の指輪は鮮烈で眩い光を放った。

「うわっ……これは何なの?」

「お前が時雨鏡花を暗殺する為に必要な力だ。ここでは『ソロモン・リング』と呼ばれている。見かけは小奇麗なオモチャだが、実体は生体電気を操って悪霊を使役する戦闘兵器だ。ラプが予知した未来の情報を元に生成されたオーバテクノロジーの産物さ」

「悪霊を……使役する?」

「それはあくまで例えだ。伝承によると『ソロモンの指輪』はあらゆる悪霊を操る力を持っていた。その指輪は悪霊の代わりにプラズマを使役して様々な物体を生成できる」



そう言って五月雨はもう一つ指輪を取り出し、僕と同じくそれを中指に嵌めた。

「何でも欲しいものを言ってみろ」

「え……じゃあ……」



ふと宇宙空間を無数のリンゴが飛び交う光景が頭を過り、僕は答える。

「リンゴで」

「フフッ、何でもと言ったのに随分と謙虚だね」



五月雨が掌を上にかざした瞬間、青色に煌くリンゴが空中に出現した。

「凄い……けど食べられそうにはないな」



正確にはリンゴではなく、無数の青い光が集まってリンゴの形を成している。

僕は近づいて触ろうとしたけど、あまりの熱さに驚いて手を引っ込めた。



「触ったら火傷どころじゃ済まないよ。高密度のプラズマの集合体だからね」

「プラズマって確か気体、液体、固体に続く第四の状態変化……だっけ?」

「細かい原理まで理解しなくていい。簡潔に言えばこの『ソロモン・リング』は人間の生体電気を利用してプラズマと呼ばれるエネルギーを生成し、それをイメージ通りに具現化させる装置だ。その気になればリンゴどころか悪霊でも龍でもどんな形のものだって生成できる。もちろん戦う為の武器もね」



その瞬間、リンゴが消え失せると同時に眩い一振りの長剣が現れ、五月雨はそれを握りしめた。

「普通に持ってるけど熱くないの?」

「手の表面を薄い電気の膜でコーティングしている。『指輪使い』なら出来て当然の技術だ」

「ぼ、僕には無理だよ! そんな技術を習得した上で剣を扱うなんて……第一、まともな身体能力すらないのに!」



僕が思わず抗議するも、五月雨は動じない。

「その点も安心したまえ。『ソロモン・リング』は生体電気を操って運動神経に直接干渉出来る。普段人間は、全力の四分の一程度の力しか発揮していないという話を知っているか? この指輪はそのリミッターを強制解除出来る。『常に火事場の馬鹿力状態』ということだ」

「つまり、それを付けている間は誰でも通常の四倍以上の力を発揮できるってこと?」



次の瞬間、五月雨は目にも止まらぬ速さで目の前に移動すると、仰天している僕の前で悪戯っぽくウインクした。

「少しはやる気が出てきたかな?」



こんなアニメや漫画で出てくるようなガジェットを見せられて、興味をそそられないわけがない。

僕が改めて指輪に目を奪われるのを見て、五月雨は唇を歪める。

その時、今まで静観していたラプラスがため息を吐いた。

「始君。乗り気になった所悪いけど、その武器は何の為に使われるのか忘れてないよね」



途端、五月雨は鋭い視線で彼女を睨んだ。

「余計なことを言って損をするのは君だよ、ラプ」

「私は真実を言っているだけ。それにその『ソロモン・リング』は一般人が扱っていいような兵器じゃない。何も知らない彼に安っぽいパフォーマンスを見せて洗脳するのはフェアじゃないわ」

「ラプ。俺が一度でも誰かに対してフェアだったことがあるかい?」



ラプラスが諦めた様に首を振る。そんな彼女に僕は告げた。

「ラプラス、心配しなくてもいいよ」



そして、中指にしっかりと嵌った黄金の輪を見据える。



「これが悪魔の力だってことくらい、僕だって理解してる」