その表情に一点の曇りもないのを見て、僕は唇を震わせる。

映画やアニメのヒーローなら、彼女に激怒すべき場面なのかもしれない。

だけど僕には出来なかった。

生まれつき目が見えない人間に、色彩を見せることが出来るだろうか?

生まれつき耳が聞こえない人間に、歌を伝えることが出来るだろうか?

答えはノーだ。

彼女は生まれつき世界を知らない。だから心を教えることは出来ない。

誰も彼女を責めることも出来ない。生かすことも、殺すことも……

「フフッ、貴方が言いたいことは何となく分かるよ。私はアンドロイドなんかじゃないもの」



そう言って、彼女は微笑みながら僕の隣の青い球体に腰かけた。

「人を殺すのはいけないこと。命は無暗に摘み取っちゃダメ……遠い昔、お母さんに教わった」

「だったら――」

「私の本名は故郷では天使っていう意味だった」



ゆっくりとラプラスが顔を上げる。その目はもう笑っていなかった。

「だけど私はこの力のせいで迫害されて……そして両親に売り飛ばされた。その時にお母さんが悪魔だと知って、そして私の翼も焼け落ちたの」

「だからもうお母さんの言いつけは守らなくていい、って?」



僕が掠れる声で問うと、ラプラスは再び色彩の笑顔を浮かべた。

「貴方は勘違いをしているよ」

「勘違い?」

「私には何も守る権利もないの。生きる権利も、死ぬ権利も……全部彼らに奪われた」



そして、透き通るような細い手を差し出す。

「だから君はあの時言ったんでしょう? 共に生きようでも死のうでもなく、『消えよう』って」



彼女の目は真剣だった。

まるで僕が自分の天使であることを疑わない、敬虔な信者であるかの様に。

その目を直視出来なくて、僕は顔を逸らした。

「冗談はやめてくれ……神様が天使に頼るだなんて」

「そんなにおかしい? 天使は神様を支えるものよ」

「確かに僕はあの時君を連れ出そうとした。五月雨に君の自由を要求した。だけど、その代償として時雨さんを殺さなきゃいけないなら本末転倒だ」

「どうして終が貴方にそれをやらせようとしてるか分かる? 『ラプラス・システム』政権の戦力は無尽蔵。主力兵器の『歌姫』だけでも数万体保有しているのになぜ?」

「あ、あんな化け物が数万体……⁉」

「あれでも最下級の兵士よ。『システム』を利用した特殊兵器ならもっと凄い化け物がいくらでもいる」



想像しただけでも目の前が真っ暗になりそうな話だけど、そう言われると確かに五月雨の命令は不可解だ。

僕なら時雨さんを油断させられると思っているのかもしれない。だが、それほどの兵力があるなら例え時雨邸に逃げ込まれても物量で押し潰せるはずだ。

そこでふと、疑問が脳裏を過る。

『ラプラス・システム』が時雨さんの抹殺を決定したのは四日前。

それなのに――時雨さんはなぜまだ生きている?

「ラプラス。『システム』の未来予測の的中率は九十九・九%だったよね?」

「そうよ」

「ならそれは間違いだ。だって『システム』は『時雨鏡花が抹殺される』という予測を今日を含めて四回外してる」



ラプラスが頷く。

「その通り。今日に関しては貴方が余計な邪魔をしたせいでもあるけど」

「今日は『天使』の僕の介入のせいで計算が狂った、というのは分かる。だとしても、それまでの三日間の事故は僕とは関係ない場所で起こり、いずれも彼女は傷を負いながらも生き延びた。そこから導かれる答えは一つ――」



「時雨さんも『天使』だ」