「いやああああああああ! こっちに来ないでッ!」

「時雨さん! そっちはダメだ!」



時雨さんが悲鳴を上げて走り出すも、直線上に逃げた為怪物の触手は容易く時雨さんの足を捉えた。

太ももを切られ、時雨さんが倒れてうずくまる。

深い傷ではないが、次の一撃で確実に仕留める為わざと足を狙ったのだろう。

聖女の怪物が咆哮とも歌声ともつかぬ奇声を上げ、二本目の触手が迫ってくる。

僕は時雨さんに駆け寄って抱き起すと、一か八かで右に飛んだ。

ドンッ! と激しい衝撃と共に触手が地面を抉る。

その場所は、時雨さんが倒れていた位置と寸分違わぬ位置。

「――やっぱりか」



僕は再び時雨さんを抱き起こしながら呟き、それから触手が抉った地面からコンクリートの鋭利な破片を拾いあげる。

さっきは何も考えずに避けたわけじゃない。ある事実を確かめたかったのだ。

横で時雨さんが足を押さえながら震える声で呟く。

「始君……この足じゃ私は走れない。だから私を置いて逃げて。それが貴方の為よ」

「時雨さん、何を言ってるの?」

「私がここで大人しく殺されれば、怪物は始君には何もしてこないはず。だって『ターゲット』は私だもの」



そう言って、時雨さんは自虐的に笑った。

「絶対に死ぬわけにはいかないんじゃなかったのか」

「確かに言ったわ。でもそれは誇り高い『時雨鏡花』の話。虫けら呼ばわりした人間を巻き添えにしなきゃいけないような『クズな私』なら死んだ方がマシよ。だから」

「簡単に死ぬなんて言うなよ!」



僕は腹が立って来て、破片を持った片手を痛い程握りしめた。

「世の中には自由に生きることも死ぬことさえも許されない人間もいるんだ。『消える』ことしか出来ない人間だっているんだ。時雨さんは少なくともそうじゃないだろ⁉」

「な、何の話よ……?」

「どんなに苦しくても、例えどんな困難が待っていても――時雨さんにはこれから先もちゃんと生きてもらう。それが」



僕はコンクリートの破片を思いきり振りかぶると、


「僕から時雨さんに対する、唯一の復讐だ」


思いきり聖女の怪物の顔面目掛けて投げつけた。

「グルエエエエエエエエエッッッ!」



破片は触手に容易く弾かれる――ことはなく、正確に怪物の剥き出しの顔面に命中した。完全に予想していた通りに。

顔面を手で覆い、聖女の怪物は周りの壁を粉砕しながらゆっくりと退却し始める。

それを見届けて手を差し伸べる僕に、彼女は唖然とした表情で問いかけた。

「い、今のは何……⁉」

「何って?」



「時雨さんに言われた通り、とっておきの魔法を見せたんだよ」