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== 琢磨Side==




『どこにも行かないで』――――か…




『俺ぁ会社だってあるし、どこにも行かねぇよ』と何とか答えたが、それが朔羅の望んでいる言葉じゃないことに思えた。


『行っちゃうような気がする。


ここじゃないどこかへ―――』


朔羅の言葉は漠然としたものだったが、あいつは心のどこかで薄々勘付いているのかもしれない。


俺の“隠し事”に――――


カラン…


ロックグラスの中で氷が琥珀色の液体の中、氷山の一角のように音を立てて溶けだした。


氷はゆっくりと、だが確実に溶けて水になる。


カラン……またも渇いた音がした。


そのときだった。ふいにウィスキーの香りより強い、覚えのある香りが漂ってきた。


オピウム―――…


「ここ、いいかしら」


と、隣のスツールに腰を下した女―――彩芽が、にこやかに笑顔を浮かべ、カウンターの中でグラスを拭いていたバーテンに


「ボンベイサファイア、ロック、ダブルで」


と手慣れた口調で注文し、


「公務中じゃないのか?」と俺は苦笑いでグラスを傾けた。


彩芽は腕を伸ばし背を逸らして伸びをすると


「今日は退社よ。“仕事”は空振り」と苦笑いを俺に向ける。


彩芽のいでたちはいつもの和服ではなく、髪を下ろして濃いグレーのパンツスーツ姿。見慣れない姿だったが妙に板についている。


まぁ、本来の姿がこうであるから、違和感を覚えないワケだろう。


「お腹すいちゃったわ。何か食べようかしら」


「ここは居酒屋じゃない。チーズと生ハムぐらいならあるだろうが?」


そう、俺が指定したのは都内にある、ちょっと高級志向のバー。


「橘くんが来るまで待ってましょうか。勝手にやってると、拗ねるから」と彩芽はどこか悪戯っぽく笑い


「俺のこと呼びました?仲間ハズレなんて寂しいですね」


と背後で彩芽と違った香りが漂ってきて、タチバナが姿を現した。