「本当に何でもないから!」

瀬野のことだ、このまま黙っていれば一緒に住んでいることまで話してしまいそうである。

それだけは何としてでも避けたかった。


「愛佳が焦ってると気になるなぁ」
「ちょっと沙彩!余計なこと言わないで!」

「あとで瀬野にこっそり聞こうかな」
「絶対にダメだからね、本当に!」


きっと沙彩は一緒に住んでいることを知っても口外はしないだろうけれど。

そのことを伝えること自体あまり良くないだろう。



「わかってるよ、愛佳がそこまで言うんだからね」


必死で止めた甲斐があったのか、沙彩はようやく折れてくれる。

本当に瀬野は危険だ、色々聞き出そうとするのはやめて欲しい。


なんなら私に不利な嘘までつきそうだ。


「そういえばさ、ふたりっていつまで苗字呼びなの?」
「……え?」


これで一安心かと思いきや、また沙彩が良からぬことを口にした。

嫌な予感しかしない。



「それ、俺も思ってた。こんなにもラブラブしてんのに、川上さんは涼介のことを『瀬野』って呼んでるし、涼介も『川上さん』だよな。どうしても他人行儀に思えるぞ?」



沙彩に続けて真田も話し出してしまう。
お願いだから黙って欲しい。

瀬野のことを苗字以外で呼ぶだなんて、そんなの考えられない。


涼介って呼ぶ…?

無理だ、心の中で呟いただけでも恥ずかしい。


「確かにそうだね。川上さん、他の男のことは名前で呼んでるなって、ずっと引っかかっていたんだ」


“他の男”とは、恐らく仁蘭の幹部メンバーのことだ。

それは苗字を聞いておらず、初めから名前で呼んでいたからそうなったと言うのに。


「それは一大事だな、涼介。
彼氏の立場が危ういぞ」

「そうだね。じゃあ川上さん、お互い名前で…」
「絶対に嫌!」


何もここで言うことでもない。
公開処刑だ、こんなの。

恥ずかしくて二度と学校に来られなくなる。


「どうして?」
「瀬野って呼び方に慣れてるから」


頑なに拒否するけれど、多分瀬野が折れるはずがない。



「───“愛佳”」
「…っ!?」


ほら、やっぱり。
不意打ちで私のことを名前で呼んだ。

それも一回迷いなく、優しい声で。
私が恥ずかしくなり、頬に熱が帯びてしまう。