「手でも繋いどく?笑」
緊張と戸惑いを悟られないように精一杯に振り絞った声。

彼の手をにぎった瞬間、数少ない思い出がよみがえる。
それなりにデートはした。でも勇気をだして手を握ったことは、数える程度しかない。

無言で歩く。冷たい風が2人の間をすり抜ける。きっとお互い何も言えなかったのだ。
これで終わりだと、心の中で噛み締めていたから。
無言である代わりに、何かを伝えたくてお互いに握る手が強くなる。

駅がどんどん近づく。

こんなにも、赤信号が長く続けと思ったことは無い。
もっと、もっと私たちの足を止めていて欲しい。この横断歩道を渡ってしまえばもう、今度こそ最後なのだ。
向こう側に渡った瞬間私たちは他人になる。

いや。元々他人だった。別に、この隣にいる男は彼氏ではなかったし、私もこの男の彼女ではなかった。
でも確かに、大切な存在ではあったのだ。


繋いだ手から、たくさんの思いが溢れていく。伝わらない、叶わない思いが、目からこぼれていく。
気付かれないようにマフラーに顔をうずめて、下を向いて、声を殺した。
きっと、バレていたと思う。
その証拠に彼の握る手が強くなる。

そろそろ青に変わってしまうだろうかという時、彼が向かい合う。
「泣きすぎだろ…」小さく呟きながら、私の目を親指で拭う。何度も。

「なんで…好きなのに…離れなくちゃいけないの?」
途切れ途切れに発した言葉。

「お前が決めたことやろ。」
困ったように優しく、眉を下げて笑う。


「幸せになってな。今まで、本当にありがとう。」
彼から、この言葉を聞いた時、
ああ、本当に終わってしまうのだと初めて実感した。胸が締め付けられる思いだった。

何度、青信号を見送っただろう。
私はようやく、今日言おうと決めていた言葉を伝えるために、彼の目を見つめ直す。

「……泣かないって…決めてたのに…ふふ、結局泣いちゃったし!笑」

「泣き虫やもんな」

「……最後に見せる顔がさ、…泣き顔なんて嫌だもん。私の笑った顔をさ、覚えてて欲しいから……。」
そう言いながらも、とめどなく溢れてくる。

「うん…。笑って。俺お前の笑った顔が一番好き。」

「…ぅ……ヒック…待ってね…」


もう化粧なんてとっくに崩れていた。
もう、どうでもよかった。そんなことは。
繋いでいた手と、逆の手で、大きく涙を拭う。

そして
精一杯笑ってみせた。

「…ありが…とう……。ほんとに……大好きだったよ!!」


信号が、青に変わる。


「じゃあ、、行くね!

さよなら!!!」

繋いでいた手を離す。
目に溜まった涙を、こぼすものかと、泣くもんかと、笑顔のまま、彼の横を通り過ぎ、横断歩道を渡る。


振り返らないと決めていた。
彼の視線が、痛いほど分かった。追いかけてきてくれたらなんて、淡い期待はとっくに捨てていた。

これが、私が
私たちが選んだ結末なのだ。
もうどうにもならない、これが現実でこの結末こそが全てなのだ。

想像していなかったと言えば、嘘になる。
彼と結婚して子供が出来て、普通に生きていく。そんな未来を何度考えた事だろう。今はもうそんなことを考えても意味がなくなってしまった。


幸せだったのかもしれない、とふと思う。第三者からすれば馬鹿な恋愛だと言われてもおかしくなかった。それでも確かにあったのだ。幸せな時間が。笑いあった時間が。かけがえのない時間が。この奇妙な関係を「幸せ」だなんて錯覚できるほどには、愛されていた。愛していたのだ。


さようなら、ありがとう、そんな普通の言葉で終わらせるには、私たちの1年半は長すぎた。そしてそのたった1年半の時間は、私を弱く、強くするには十分過ぎた。


最後に見た、あなたの表情を
私は一生忘れないだろう。


悲しいような、泣きたいような、笑っているような、絶望したような、どこか晴れ晴れしているような、

そんな微妙な表情だった。