それから結衣は入退院を繰り返し、時には危険な時もあったけれど成長していった。
彼女の成長を家族同様嬉しく思う。

教授は常々そう言っていた、けれど現実は厳しく本人や家族、そして彼女の周りの病院関係者に重くのしかかっていた。
検査結果に一喜一憂し、それでも彼女は強く逞しく生きていた。

彼女を初めて見たのはおそらく中学生の頃、僕が研修医の頃だった。
心臓外科で研修をしている時に外来の廊下で教授と話をしている姿を見かけた。

隣にいた先輩が「あの子もいつか移植が必要になるかも知れない」そう言っていた。

それから2〜3年が過ぎ僕は心臓外科医としての人生を歩み始め、教授から引き継ぎ彼女の担当医となった。