窓からはさんさんと輝く太陽の光が差し込み、バスの中を明るく包む。
心地良い振動に揺らされながら、速水美由希は外の景色を眺めていた。

一ヶ月前、両親は海外転勤を告げられ、本来は今頃、美由希も両親と共に海外へ向かう飛行機に乗っているはずだった。
しかし一週間前の夕食の時、いつも通りに箸を進めていた美由希に、両親は突然あることを告げた。

知り合いの家族の家に、美由希を預かることになった――――

一瞬、頭の中が真っ白になった。
どうやら両親は、慣れない国に美由希を一人にさせるのは心配らしく、その家族と相談して決めたことだそうだ。
確かに美由希も、海外に行くのは少し不安だったが、不満だったのは自分にも相談を持ちかけてこなかったことだ。
結局、こちらが折れることになり、今に至る。

(ええっと……あ、こっちか)

バスを降りて地図で道を確かめ、スーツケースを引きながら足を進める。
しばらく歩き、一件の家の前で立ち止まった。
表札には、『旭』と書かれている

(ここで間違いないみたい)

美由希はチャイムを鳴らすと、しばらくして玄関のドアが開いた。

「あら、もしかして美由希ちゃん?」

出てきたのは、美由希の母親と同じくらいの年の女性だった。
艶のある黒い髪を一つに縛って、右肩に下ろしている。

「はい、速水美由希です」

そう答えると、女性は笑顔で出迎えてくれた。

「ちゃんと家に来れてよかったわ。さ、上がって上がって」

女性にうながされ、「お邪魔します」と言って家に上がる。
一度女性に案内された部屋にスーツケースを置いて、リビングに向かった。
リビングの真ん中に置かれたソファーには、一人の男性と眼鏡をかけた美由希と同い年くらいの男の子が座っており、女性は男の子の隣、美由希は向かいのソファーに座った。

「それじゃあ、まず自己紹介からしましょうか。私は春菜。そして夫の大輔に、息子の蓮。葵から聞いたと思うけど、蓮は美由希と同い年なの」

葵は、美由希の母親の名前だ。
そういえば、両親から同い年の男の子がいると聞いた気がする。
ちらりと二人の方を見ると、大輔はニコッと笑ったが、蓮は美由希と目が合うと、すぐに逸らした。

(え、今思いっきり目逸らしたよね?)

目を丸くして戸惑ったが、こちらが自己紹介する番なので、美由希は動揺を隠して言った。

「速水美由希です。しばらくの間、お世話になります」

美由希は頭を下げる。

「今日から一緒に住むんだから、そんなにかしこまらなくてもいいんだよ。ほら、蓮も美由希ちゃんに挨拶しなさい」

大輔に言われ、顔を背けていた蓮がゆっくりと美由希を見据えた。
レンズ越しに見える青色の瞳は冷え冷えとしており、美由希は息を呑んだ。

「……旭蓮」

(……へ?)

肩に入れていた力が、一気に抜けるのを感じた。
蓮はそれだけ言うとまた興味無さげに顔を逸らし、それ以上口を開くことはなかった。

(えっと……それだけ?)

戸惑う美由希を見て、春菜は「ごめんなさいね」と謝罪の言葉を口にした。

「蓮、小さい頃からいつもこうなの。何度も言ってるんだけど聞かなくて……」

「あ、いえ、気にしないでください……!」

ため息混じりに言う春菜に、美由希は慌てて両手を振った。

その後、春菜と大輔に家の中を案内してもらい、今日は部屋で休むことになった。
荷物を片付け終えると、勢いよくベッドの上に転がった。

「ふー、終わったー!」

寝返りを打って、仰向けになる。

(それにしても、あの蓮って人、もう少し愛想良くできないのかなぁー)

あれから美由希とまともに目を合わせようとせず、内心少し腹立たしかった。
蓮は今頃隣の部屋にいるはずだが、先程から物音が聞こえてこないので、もしかしたら寝ているのかもしれない。

秒針が進む音が聞こえるほどの静寂に包まれ、美由希は起き上がる。

(やることなくなったら、急に暇になったな)

ぼんやりと部屋の中を見つめていると、頭の中であることが思いつき、手を打った。

(せっかく泊まらせてもらうんだし、何か手伝った方がいいよね)

早速ベッドから降りて、部屋を飛び出す。
リビングのソファーに座ってテレビを見ていた春菜は、足音で美由希に気がついた。

「春菜さん、何か手伝えることってありますか?」

「えっ、手伝えること?」

そう尋ねると、春菜は目を丸くして首をかしげた。

「急にどうしたの?」

「何もせずにただ泊まらせてもらうのは悪いなって思って。何もありませんか?」

「そんなに気にしなくてもいいのよ。……あ。でも頼みたいことならあるわ。ちょっと待ってて」

春菜はメモ張から紙を一枚切り離し、その紙に鉛筆を走らせる。

(ん? どうしたんだろ?)

何を書いてるのか覗きこもうとした時、ちょうど春菜が顔を上げて鉛筆を離した。

「はい、これ」

差し出された紙を受け取り、書いてあることを読み上げる。

「大根、こんにゃく、ちくわ……これって……」

「そう! 今日はおでんよ!」

春菜は自信満々にそう答えた。

(おでんって……もう三月も終わりなんだけど)

「あとそれ、蓮も一緒にお願いね」

「えっ」

内心苦笑いをしていたが、春菜の言葉で笑いが止まった。

(蓮もって……)

顔を歪ませる美由希に気づかないまま、春菜は「蓮ー! ちょっと下りてきてー!」と二階にいる蓮に呼びかけた。

正直、蓮と一緒に行くのは気が乗らなかった。
けれど、自分から言い出したことなので口には出せなかった。

しばらくして蓮が下りてきて、「なに?」と眉を潜めて言った。

「美由希ちゃんと買い物に行ってきてほしいの。どうせ暇なんだし、いいでしょ?」

「はぁ?」と言いたげに蓮は顔をしかめるが、すぐにため息をついた。

「嫌だって言っても、無理矢理行かせるんでしょ」

「そうよ。よくわかってるじゃない」

(あれ? 蓮って意外に素直?)

そう思ったが、直後に嫌、それはないな、と悟った。

(多分、抵抗するのが面倒とか、そんなところだろうな)

「それと、ついでにこの辺の町案内もよろしくね」

財布を受け取った蓮にそう言い、春菜は手を振りながら二人を見送った。