幼なじみの清藤美咲と黒川瑠衣は、その日清藤家と黒川家の毎年恒例行事で、山にキャンプに来ていた。
小学五年生だった美咲は好奇心旺盛で、その時も、星空を見に夜中にテントを抜け出していた。
けれど、抜け出したものの森の中で迷子になってしまい、気づけば草木の茂る薄暗い山中でひとりぼっちになっていた。
抜け出すんじゃなかったと、後悔してため息を溢すと、背後からカサカサ……と茂みが揺れる音がした。
驚いて振り返ると、茂みの向こうから誰かが顔を出す。

「あ! やっと見つけた!」

聞き慣れた声に、美咲は固く閉じていた目を恐る恐る開く。
目の前には肩で息をする瑠衣の姿に、不安で押し潰されそうになっていた心が晴れていく。

「瑠衣!」

パッと目を輝かせて、瑠衣に訊いた。

「瑠衣、どうしてここにいるの?」

首を傾げて問いかけると、瑠衣は「あのなー」と怒り混じりに息をつく。

「美咲を探しに来たに決まってるだろーがっ!」

手加減なしに瑠衣に額を指で弾かれ、美咲は悲鳴をあげる。
すぐに抗議しようとするが、瑠衣の姿を見た途端、その言葉は喉に引っかかった。
改めて見ると、瑠衣の顔は汗だくになっていて、汗で髪の毛が顔に張り付いている。
それが、自分を一生懸命に探していたことを証明していた。

「あ……えっと……ごめんなさい」

俯いてそう謝罪をすると、頭上から瑠衣の焦ったような声が聞こえる。

「えっ。あ、いや、反省してるならいいけどさ……」

何時になくしおらしい美咲を見て本気にされたと思った瑠衣は、気まずそうに言う。
すると、頭に暖かさを感じた。

「キツい言い方して悪かったよ。とりあえず、えれなが見つかってよかった」

優しく髪を撫でられ、驚いて顔を上げる。
瑠衣の表情はとても穏やかで、見ていると心が落ち着いていくようだった。
その途端、心臓がトクンと跳ねる音がし、心臓の音がやけに大きく耳につく。
不思議と耳障りではなくて、むしろこの心地良い感覚に浸っていたいとさえ思えた。
瑠衣は手を下ろすと、ポケットから取り出した携帯を操作した。

「母さん達に美咲が見つかったって連絡しとくから、さっさと行くよ」

「え? 瑠衣、テントの場所がわかるの?」

スマホをポケットに直す瑠衣に、そう尋ねる。

「先を読まない美咲と違って、俺は木とかに目印を付けてんの。けど、テントに戻るのは後」

「後って、どこに行くの?」

「美咲のことだから、星が見たくて夜中にテントを抜け出して、それで迷子になったんだろうなーって。違う?」

「ううん、正解! 瑠衣、すごいじゃん!」

「伊達に美咲の幼なじみやってないしね」

優しく微笑みながら、瑠衣はスッと手を差し出す。

「その星を今から見に行くんだよ。勿論、母さん達には内緒だからな」

その言葉に美咲は笑顔で頷き、瑠衣の手を握った。

家族にあまり心配させないようにと、二人は急ぎ足で森を抜けて草原に出た。
満天の星に美咲は思わず「うわーっ!」と歓声を上げ、瑠衣も「すごいな……」と呟いた。

しばらく星を眺めてから、美咲は「ねぇ、瑠衣」と瑠衣の方に顔を向けた。

「ん、なに?」

瑠衣も星空から目を離して、美咲の方を見る。
後ろで手を組んで、美咲は照れ臭そうに言った。

「ありがとう。あたしを見つけてくれて。こんなに綺麗な星を見せてくれて」

素直に感謝の気持ちを述べると、瑠衣は一瞬ポカンとしたような顔をするが、すぐに顔を背けた。
不思議に思って瑠衣に近づくとと、髪の毛から覗く瑠衣の耳が赤く染まってるように見える。

(走った後だから、真っ赤なのかな……?)

もう少し近づこうと足を動かしたが、瑠衣はそれに気づいて慌てた様子で美咲から離れた。

「も、もう充分見たし、そろそろテントに戻るか。また走るけど、平気か?」

背を向ける瑠衣に、美咲は「うん、大丈夫」と返した。

テントに戻ると、美咲は涙目になった母に抱きしめられ、後でこっ酷く両親に叱られた。
両親から聞いた話によると、最初に美咲がいないのに気づいた母がみんなに知らせ、それを知った瑠衣が「もしかして……」と森の中へ入っていったそうだ。
その話を聞いてから、改めて美咲は瑠衣にお礼を告げる。
瑠衣に「もう二度とこんなことするなよ」と念を押され、美咲は大きく頷いた。

* * *

それから数日が経ち、美咲は"ある事"に頭を捻らせていた。
あの事件が起こってから――――詳しく言うと、森の中であの穏やかな瑠衣の顔を見てから、なぜか瑠衣の顔をまともに見れなくなった。
あの時の事を思い出し、顔が熱くなって心臓がうるさくざわめく。
思い切って母に相談してみると、母は初めは嬉しいような寂しいような、複雑な顔をしていた。
そして少しの間を開けて、静かに微笑んだ。

結論から言うと、瑠衣に対するこの感情は「恋」と呼ぶらしい。
母が教えてくれた。
瑠衣を友達としてではなく、異性として好きになったということだった。
母から面と言われて、恥ずかしかったけれど腑に落ちた。

(あたし、瑠衣のことが好きなんだ……)

美咲はそっと、自分の左胸に触れる。
心地良い鼓動は今もまだ続いていて、きっとこれから先も止まないだろう。
だけど、変わったこともある。
瑠衣に会いたいと思った。
会って、目を見て話がしたいと思った。
こうしてはいられないと、美咲は駆け出した。

「瑠衣!」

ドタバタと廊下を駆けて、部屋のドアを勢いよく開く。

「わっ。どうしたのさ、そんなに慌てて」

部屋の奥の机に向かっていた瑠衣は、驚いて目を丸くした。

「あ、ごめん、お勉強中だった? でも、どうしても伝えたいことがあるの!」

「ふーん。言ってみ?」

瑠衣は再び机に向かうが、耳は傾けているようだった。
ほっとした。
自分の気持ちを知って吹っ切れたおかげで、瑠衣と普通に会話ができた。
相変わらずいうことを聞いてくれない美咲の心臓は、早鐘を打っているけれど。

「あたし、好きな人ができたの!」

言った瞬間、まるで時が止まったかのように、瑠衣は動かなくなる。
背中を向けているから、どんな表情をしているのかまではわからない。
けれど、肩はぶるぶると震えていた。

「へ、へー……。あ、あ相手は、誰なわけ?」

声も動揺したように震えていて、美咲は思わず頬を緩めた。
自分がその相手だとは少しも思っていなさそうだ。
ようやく振り向いた瑠衣に、美咲は人差し指を口元にあてて、イタズラな笑みを浮かべる。

「ナイショ!」

今はまだ伝える勇気が足りなかったけれど、いつかきっと……。