にじいろの向こう側





足下を吹き抜ける風が少し冷たく感じたけれど


「咲月、早朝からごくろうさま。」


すっぽり身体を包まれて、首筋に埋もれた顔の先から聞こえる、くふふってくぐもった声が凄く暖かく感じる。


「あ、あの…どうして、ここに…。」

「ん~?咲月がパニクってんじゃないかな~って帰って来た。」


鼓動が早く大きく全身を駆け巡っている。


「そ、そんな事は…。」

「そお?」


くるりと正面に向きを変えさせられて、思わず、目元を隠す様に俯いたら、覗き込む様に瑞稀様の顔が近づいて来る。


「っ!あ、あの…誰かが通るかもしれませんので…。」

「こんな朝っぱらから通る様な人はいない。」


腰を抱かれてそのまま唇が塞がれた。


「んっ……。」


何度も角度を変えて啄む様なキスが降って来る


「み、瑞稀様…」

「もうちょっとだけ…ね?」


片腕をそのままに、耳の横から髪に指が通って、そのまま後頭部を掌で支えられ、今度は深いキスが降って来た。


い、いくら何でもこんな所で…瑞稀様は今まで一度もこんな事はされなかった。


グッと瑞稀様の上着を掴んだ。


…もしかして、瑞稀様、私と奥様のやり取りを見ていらっしゃったんじゃ。


息苦しさでぼやける頭の中でそんな事を考え出したのと同時に、コツンとおでこがぶつかった。


「俺さ、明日の朝にはニューヨークに戻らないといけないんだけど、こうやって帰って来る時間を作れた。優秀な秘書を持つと、こんな事も可能になっちゃう。」

「……。」


思わず黙ったらふふって笑う声。


「優秀じゃないメイドが好物だけどね、俺は」


ギュウッてまた痛い程に抱き締められた。


「咲月…行くよ。」

「…え?」

「あの二人、歳だから早起きなんだよ。だから、多分今はリビングに居ると思う。」


ドキドキと心音が跳ね、速くなる。


「あ、あの…」

「言っただろ?タイムリミットがあるんだから。躊躇している暇はないんだよ。…紹介させて?『恋人だ』って。」


瑞稀様のお顔が一気にぼやけた。


「っ……。」

「何で泣くんだよ。」


不意に目尻を少し乱暴に拭われた。


「別に息子が親に彼女紹介すんなんて普通の事じゃん。」


眉下げてあきれ顔の瑞稀様に泣いちゃいけないと思うとまた視界がぼやける。


「ったく。時間がないつってんのに…。」

「す、すみません…。」


本当に。こんなんじゃ全然ダメだ。
こんな時は毅然として…。

さっきの奥様みたいに落ち着いて…。

そう思っても、積を切った様に溢れて来る涙。


どうしよう…

安心と、嬉しさと不安

それが一気に押し寄せてきた感じで、涙が止まらない。


ふうと息を短く吐き出した瑞稀様が、またフワリと私の身体を優しく包んだ。


「咲月…ありがとう。
圭介からチラッと聞いた。うちの両親を迎え入れる準備、完璧だったって。」


頭を優しく撫でられて波立っていた気持ちがスーっと落ち着いて来る。


「それは…皆さんが頑張っていたから…。」

「咲月もでしょ?」

「…メイドですから。」

「だーかーら!それが偉いつってんだよ。」


包んでくれている腕に力が入って引寄せられ


「安心しなよ。あなたは充分イイ女だからさ。」


耳元で囁かれるそんな言葉


目を見開いて腕の中から見上げたら瑞稀様の顔が苦笑いに変わった。


「あのね?ここでうだうだやってると、時間勿体無いでしょ?せっかく帰って来られたんだから、面倒くさい事はとっとと終わりにして、俺は咲月を部屋に連れ込みたいんだよ。」

「つ、連れ…。」

「そりゃそうでしょ。もう2週間近く咲月無しの生活だよ?不足もいい所だわ。折角帰って来たんだから、お預けとかごめんです。」


「ほら、行くよ!」とまた引っ張られる。


大丈夫…かな。
気持ちが落ち着いたら、不安だけが残りこみ上げる。


言った後、どうなるのか、予想もつかない漠然と込み上げる恐さ。

けれど、ギュウッと握られた掌が凄く暖かくて。


…瑞稀様の傍にずっと居たいならば、いつかは言わなければいけないこと。
だったら、今この時点で話をしようと瑞稀様がおっしゃるならば、そうしよう。

大丈夫…きっと大丈夫、瑞稀様と一緒ならば。



そう考えたら、その手をギュッと握り返せて一歩踏み出せていた。