叔父と貴子が帰国した翌日、靭也に、「申し訳ないがアトリエをあと一週間使わせてほしい」と言われたそうだ。

 その間公募展用の作品を制作していたみたいだと。

 昼夜ぶっ通しで制作を続けるから、ぼくも貴子も靭也が倒れるんじゃないかと心配したよ、と叔父は言った。

 あの日、もう完成していたはずなのにおかしいとは思ったが、それ以上深く考えなかった。




 それからの数カ月は、靭也を今度こそきれいさっぱり忘れようともがき苦しむ日々だった。

 叔父の家にも足を向けなかった。

 前から熱心に「付きあってほしい」と言われていた同級生とデートもしてみた。

 でも、その子には悪かったが、ごめん、やっぱり付きあえない、と断った。

 じくじくと心の傷から血は流れつづけていたけれど、2カ月3カ月と日が過ぎ、少しずつ失恋の痛手は薄らいでいった。