ところが、終止符を打たれたと思われた研究は進んでいたのである。

超化元年、冬のことである。
爆発的にインフルエンザが流行し、人々は混乱に陥った。そして、インフルエンザに対し処方された錠剤の中に、C-7が混入していたのである。

C-7を誤って混入させることは不可能と見られ、意図的なものとして捜査されたが犯人は不明であった。

被害者は理性を司る前頭葉を破壊され、小脳を強く刺激されることにより人格を失い「飢餓感」と戦うこととなった。

それらの症状への治療薬は無く、被害者は国家機関によって管理された治療室に送られることとなる。

また、一定量以上を服薬すると死に至る毒薬となったC-7は、一人の人間の手では不可能なあらゆる場所に混入されたことから財閥によるテロが疑われた。

不穏な空気に満ち、諸外国から全ての国交を断たれたある意味鎖国状態となったニホン国は、衰退の一途を辿る。

そして財閥の当主、会長、その関係者は次々に何者かによって暗殺され、一層の困窮を極めた。

抑えられないほど増加した「服薬済み」の人々は暴徒化し、政府は壊滅。

ニホン国民は「服薬済み」の人々から怯えて暮らすこととなった。

これらが一連のC-7を取り巻く事件である。

超化五年。
ここで医者である瀬川 桐之助によって、服薬者を鎮圧するための部隊を常駐させた居住区が設立される。

特殊部隊に所属する者は通称「守護者」と呼ばれ、治安を維持している。