双子が連れ去られた後、いつも彼等と過ごすあの場所で倒れていたシイナはすぐに城へと運び込まれた。心配の声や怒号が飛び交う中、朦朧とする意識で目を開ければ、瞳を潤ませた姉の顔がすぐ側にある。

「ア、ル……ここ、は?」
「シイナ! お城よ。いつもあの子達と遊んでる場所の近くで倒れてたって聞いたけど何があったの……?」
「そうだ……ロタスと、ファルがっ……!」

 無理に起き上がった拍子に腹部へ走った痛みが、これは現実なのだとシイナに突き付けた。悲しみ、怒り、焦り、戸惑い。複雑な感情が胸に渦巻くが、彼女の心を占めるのは。

(私は、二人を守れなかったんだ……!)

 いつも自分に安息をくれた大切な人達を守ることが出来なかった後悔だった。


 シイナが目を覚まし、数時間後。食事を持って来ると出て行ったアルレーラと入れ違うように彼女の従者であるユウリが神妙な面持ちでシイナの部屋を訪れた。

「ファミール」
「シイナ様、お加減はいかがですか?」

 ミシュエルフィッツ王国の古代語で「従者」の意味を持つ“ファシミール”を僅かに略し、彼の愛称としているシイナに呼ばれたユウリはベッドの近くにある椅子へ腰掛けると心配そうに眉尻を下げる。

「一発、殴られただけ。心配しないで」
「心配もしますよ。大切な主なのですから」
「……そう。ところで、アルが居ない時に君が来たってことは何か重要な話があるんでしょ? 聞かせて」

 ユウリが言い出さない本題を促したシイナに、彼は胸元のポケットから手帳を取り出して口を開いた。

「……ロタス様とファル様の件です」
「っ……!? 何か、分かったの……?」
「シイナ様が仰られていた、白い長髪の男ですが、最近城へ出入りしていた者に似た容姿の男が居ました」
「名前は?」
「“ゼガル”という名の男です」

 ゼガル。ユウリから聞いた言葉をシイナは復唱するが、その名前に心当たりはない。そのゼガルという人物に連れ去られた双子の兄弟から聞いた覚えもなかった。

「……その男が二人を――」
「シイナ様」
「何?」
「無謀なことは考えないでください」

 まるでシイナが考えていることを言い当てたかのように真剣な声音でそう呟いたユウリに彼女は、ふっと優しい笑みを浮かべて首を横に振る。いくら言葉を重ねても、シイナの意志は変わらない。それを暗に示すような表情にユウリは何も言うことが出来なかった。


 心配はいらないとシイナが言った通り、殴られた腹部に痣は残ったものの体調は一晩眠れば回復したが、彼女はまだ身体の調子が戻らないと自室に引き篭っている。

「よし、これで――」

 予備として部屋に用意されていたシーツをロープ状に縛ると、それを窓から垂らし下を見下ろした。なかなか高さはあるが、降りられない程ではない。誰よりも自分を心配する姉や両親、従者へ何も言わずに行くのは心苦しいが、次期女王となる彼女を人探しの旅へ誰が行かせてくれようか。

「アル、母様、父様、ファミール。ごめん」

 小さく詫びの言葉を呟いて窓から飛び降りようとした刹那、シイナの部屋の扉が勢い良く開いて四つの影が飛び込んで来た。

「やっぱりアタシの言った通りだったな!」
「かあ、さま……」
「こら、ローラ。シイナが怯えてるじゃないか。シイナ、危ないから。こちらへおいで」

 高らかな笑い声を響かせるのはシイナの母親であり、ミシュエルフィッツ王国の現女王のローラ。窓枠へ足を掛けていたシイナに穏やかな声音で手を差し伸べたのは、父親のハールベストだ。大人しく父の手を取ったシイナは顔を上げることが出来ない。

「シイナ。顔を上げなさい」
「……っ、申し訳、ありません」

 簡素なシイナの部屋にある椅子に腰を掛けたローラの言葉に震えた声で謝罪を口にする。隣に居るハールベストはシイナの優しく抱いた。その様子にローラは不服そうに頭を搔く。

「ハール。アタシ、まだ女王モードになってる?」
「そうだね。威圧感が凄いよ」
「マジか〜! シイナ、顔上げろ? アタシ達は別にあんたを止めに来たわけじゃない」

 一人だけ緊張しているシイナを置いて、ローラはユウリに手招きすると、彼は持っていた小さな革の鞄をシイナへ手渡した。

「鞄……?」
「ロタスとファルを探しに行くんだろ?」
「……っ!」
「隠したって分かるぞ。だって、あんたはアタシの可愛い娘。ここで立ち止まるなんて出来ないに決まってる」

 そう言ってウインクする母に戸惑いながらシイナがハールベストを見上げれば、彼はいつもと変わらない笑顔を浮かべている。

「行って、いいの……?」
「シイナは止めて欲しかったかい?」
「アルとファミールは行きたいと言えば行かせてくれると思ってた。でも、父様と母様は絶対止めると……」
「ははっ、ローラ。僕達はアルレーラ達よりも信頼されてないみたいだよ」

 思わず苦笑を漏らすユウリをアルレーラが小突く様子を横目にシイナは渡された鞄をぎゅっと抱き締めた。

「……私はっ! 二人を守れなかった!」
「……話は聞いてる」

 家族の優しさに溢れた想いをローラは真っ直ぐ受け止める。それを他の三人も静かに見守っていた。

「私が行っても何も出来ないことは分かってる! それでも、私は二人を迎えに行きたい……! 私の、大切な友達だから……!」

 澄んだ赤い瞳と目が合ったローラの脳裏に過ぎったのは、もう二度と戻れない日々。彼女の隣にはハールベストの他に二人の青年が居たが、彼等と再会することはきっと二度と叶わないだろう。自分は“女王”だから。
 だが、目の前に居る少女は違う。この座にまだ縛られていない自由な小鳥だ。それを籠の中に閉じ込めてしまうのは、何よりも罪深いものだとローラは思う。

「ローラ」
「分かってるよ、ハール」

 ハールベストと視線を交わらせたローラは椅子から立ち上がると、小さなシイナの身体を引き寄せた。

「あんたの道は、アタシとは違う。だから……行って来なさい。シイナ」

 ぽん、と頭を撫でて彼女を見つめれば、今にも泣き出しそうな娘が居る。
 この籠を出ることは、シイナにたくさんの苦痛や辛い選択を強いることだろう。だが、それを恐れて一歩を踏み出さなかった先にあるのは、忘れることが出来ない後悔。この気持ちをシイナに知って欲しくはない。
 そんなローラの気持ちに誰も気付くことはなく、肩に鞄を掛けたシイナにアルレーラとユウリが近付いた。

「怪我しないで……“みんな”で、帰って来てね。シイナ」
「あぁ、約束だよ。姉様」
「シイナ様、旅立たれるなら私も――」
「君はアルの傍に居ろとずーっと前に命じたけど?」
「シイナ様……」
「私が留守の間、父様と母様、アルを頼みます」

 何かを託されることに弱い従者に頼んだシイナはこの暖かな空間を名残惜しいと思う前に出て行こうと歩き出す。その背にユウリは慌てたように声を掛けた。

「……っ、シイナ様なら、そう仰られるだろうと下町に用心棒を待たせています!」
「用心棒?」
「ちゃんとアタシ達も確認してるから、安心して連れて行け。男の子が二人、下町の入口で待ってるからさ」

 過保護だと思いながらも口には出さず、今度こそシイナは旅立つ為に自室を出ようとして――足を止める。
 そして、大好きな家族と従者に向き直ると、堂々と笑顔で声を上げた。

「……行って来ます!」
「行ってらっしゃい」

 重なった四つの声を聞きながら、シイナは十七年間過ごした自室を飛び出す。
 王女の友人を探す長い旅が、始まった。