「……もういい」
恋に溺れてしまうほど水野が好きだ。
好きで好きで仕方がない。
だが、今は顔も声も何もかもを遠ざけたいほど嫌いだ。
「もういい。結婚なんて二度と言わない。だがな、絶対別れない。絶対にな。少し頭冷やせ。馬鹿女」
席を立つ瞬間、水野のつむじが見えて、それだけで気分がさらに悪くなった。
自転車を乱暴に駐輪場に押し込めて、オンボロドアを怒りにまかせて乱暴に閉める。
そんなことで、この怒りは収まらないが物に当らなければやっていられない。
オンボロアパートのドアが、水野の笑顔とともに開かれることがなくなったら、それは本当にただのオンボロ。
ドアを開けて出迎えてくれる笑顔がないのだから。
ああ。
何もしなくて良いと言いつつ、一回でも多く俺は水野に笑顔で出迎えて欲しかったのだと、この時思った。
何も考えたくないのに、水野が好きだと何度も思い知らされることばかり頭に浮かんで、結局眠れなかった。