「これだったら………撒けるな。おい、空澄。俺に掴まってろ」
 「え………?」
 「そんなんじゃダメだ。腕を首にまわして」
 「は、はい……」
 「いくぞッ!」


 この魔王は何故、自分を助けてくれたのか。
 母から教わった呪文は何だったのか。
 そして、目の前の男はどうして自分の名前を知っているのか。

 そんな疑問が頭をよぎった。けれど、その考えは一気に消えてしまう。
 ジェットコースターのように、突然体が勢いよく動き出したのだ。


 「ーーーーっっ!!」


 あまりに高速で、叫び声も出なかった。
 必死に彼にしがみつくと、男が「くくくっ」と笑う声が聞こえてきたけれど、それに文句を言っている暇もなく、空澄は苦しさと恐怖に耐えたのだった。

 けれど、それもあっという間の体験だった。
 男は空澄の家に戻り、鍵がしまっているはずのドアに手を差しのべ「-----------」と、聞いたこともない言葉を発すると、ガチャンとドアの鍵をかけ、そして今度ほ長い呪文を唱えた。


 「これで、今日は諦めるだろうが……」


 と、男は独り言を呟いていた。
 沼の水で濡れた冷たい体を抱きしめながら、恐る恐る彼を見上げる。
 すると、その黒の男は空澄の方を向き、安堵した表情で優しく微笑んだ。


 「やっとあの呪文を言ってくれたんだな」


 その声と表情を見てしまったら、空澄はその男が怖いとは思えなくなってしまった。
 それぐらいに優しく、そして懐かしい微笑みだった。